ミュージカル「ジプシー」 [思うこと]
(上)ミュージカル「ジプシー」のテレカの画像
(中)とある雑誌に載っていた当時の様子
※激やせの様子と比較して掲載していたため、必要な部分だけ抜粋しました
(下)破局後、もしくは激やせ後にとある雑誌に掲載されたもの
今からちょうど20年前にりえちゃんが初出演したミュージカル「ジプシー」。
これはハリウッド映画を舞台化したもので、この映画自体、ハリウッドでリメイクされていた記憶があります。
その時の主演(強烈なステージママ役)はベット・ミドラーでした。
映画「ジプシー」のサントラ(勿論ベット・ミドラーが歌ってます)
この話はいつか娘をスターに、という思いを胸に、家族を連れて全米を興行して回るステージママとその娘達の話です。
まさしく当時のりえちゃんそのままですね。
全国をどさ回りはしていませんでしたが、やはり強烈なステージママによる全面プロデュースのもと、ひたすらトップアイドルの道をひた走っていました。
当時この舞台の注目度はすごく、テレビの特番の企画でこの舞台の楽屋に取材をしに行っていた程でした。
ちなみに特番の内容は2時間のクイズ番組で、質問内容は「りえちゃんの好きな言葉は?」でした。
それに対する答えは「パワー」だったそうです。
衣装替えやら何やらでごった返している楽屋で、取材班がこの質問を投げかけ、周りのスタッフ達に誘導されながら(というかほとんど連れられながら)りえちゃんが大声で解答していました。
正直どうでも良い情報ですよね、これ。
今の大変な時期にこんな取材をして放送で流したら、きっと視聴者からクレームが来るでしょう。
というか、当時はこの問題だけで番組が成り立つ程、りえちゃん人気がすごかったのかもしれませんね。
一番綺麗と言われてた・・・ [思うこと]
この写真はりえちゃんが貴乃花(昔の貴花田)と破局した時の会見の様子。
このとき彼女はまだ18か19歳。
しっかりと破局についてメディアの前で話している様子がとても綺麗だった、と言う人が多かったように思います。
真相は本人達にしか分かりませんが、後年他の芸能人がテレビで発言していたところによると、周りの大人達が口出しをし過ぎたのが原因だとか・・・。
確かにあの当時二人はまだ20歳そこそこだったし、お互い立場というものがあったでしょうから、単に「好き」だけでは通らない面もあったのでしょう。
その後の二人に関してはここで触れるまでもないですが、私がこの会見の様子を覚えている理由の一つに、彼女が付けていたネックレスがとても綺麗だったことが挙げられます。
私は生まれつき右側の甲状腺がほんの少し大きいので、写真のようなネックレスの付け方は難しいのですが(喉が苦しくなります)、あの当時このネックレスが羨ましくて「いいなぁ〜、あの綺麗なの・・・」と思ったものでした。
この当時が一番ふっくらしていた頃かもしれませんが、これと今を比べるとちょっと別人のようにも見えます。
ふくよかさって見た目を左右するんですね。
作品紹介 [思うこと]
アーティスティック [思うこと]
似てる?似てない? [思うこと]
AERAの表紙 [思うこと]
去年のAERAの表紙を飾った写真だそうです。
りえちゃん、折り鶴のタトゥーを入れてるんですね。
タトゥーが悪いとか変とかは一切言いません。
それに数年前からりえちゃんがタトゥーを入れていることは話題に上っていましたし、今さら驚く程のことでもないのでしょうが、何に驚いたってこの写真のりえちゃん、かなり痩せ気味ですね。
痩せ気味というよりも、ちょっと老け込んだ印象を受けます。
20代の頃のげっそりと痩せこけていた時は老け込んだ印象まではなかったのですが、今では痩せたというよりも老けたという印象の方が強いです。
年配の女優さんだと皺伸ばしをするべくホルモン剤を使って少し太るのだそうです。
りえちゃんは太りにくい体質になったんだろうと思いますが、この横顔はちょっと見ていて辛くなるくらいに老けた印象を受けます。
数年前のとあるローカル番組で、りえちゃんの健康に関して少し言及している某スポーツ紙記者がいました。
まだ拒食症は完治しておらず、たまに再発している、と。
その人はいわゆるデスクの立場の人で(要は現場を仕切る偉いさん)、とても気の毒そうに答えていました。
テレビの人によくありがちな、りえちゃんのネタを面白可笑しく語る、というわけではなかったです。
やはり一度あそこまで大きく体調を崩したら、簡単には体は戻ってくれないんでしょうね。
東京のとあるお寿司屋さんに勤める人の話として出たことがありましたが、りえちゃんがお米を食べるのは週に一度程度、しかもそのお寿司屋さんで作ってもらうりえちゃん用の握りは、すし飯の量が通常の半分程度の量なのだそうです。
少しでも量を超えて食べてしまうと体調に影響するのだろうと思われます。
吐き気や嘔吐など、でしょうかね・・・。
確かにりえちゃんが妊娠中は少しふっくらした印象でしたが、女性は出産を経験するとどうしても老け込む傾向があるため、出産後のりえちゃんが老け込んだ印象になったのは仕方のないことだと思います。
今後の健康のためにも、少しずつ体重が増えていくと良いですね。
父と暮らせば [映画]
井上ひさしの舞台作品の映画版です。
この話は原爆投下後の広島が舞台で、原爆で亡くなった父の幽霊と一人生き残ったその娘の話です。
舞台では娘役を西尾まりが演じていました。
この方、30代以降の方ならご存知かと思いますが、「パパはニュースキャスター」というドラマで田村正和の娘役で出演していた人です。
この映画の製作発表会見の席上、井上ひさしは「ほとんどの台詞は変えていません。が、一つだけ変えたところがあります。」と言っていました。
それはどこかと言うと、亡くなった父の幽霊が結婚の申し出を断ろうとする娘に対して、「大して器量の良くないお前・・・」という主旨の発言をするところだったそうです。
この部分は、宮沢りえにはふさわしくないとの理由で削除したそうです。
この時井上ひさしは「宮沢りえさんだったらすれ違った男性が見とれてひっくり返ってしまう程の美人ですから」と言って、変更した理由を説明していました。
確かにりえちゃんはとっても美人ですが、じゃあ、西尾まりさんの立場は・・・、とふと思ってしまいました。
同じ世代で同じく子役時代から活躍しているお二人ですし、なによりこれは女性としてのプライドが・・・、と会ったこともない西尾さんに妙に同情してしまった会見でした。
ちなみにこの映画はまだ見ていません。
泣かずに最後まで見られるかどうか・・・。
出来ればりえちゃんにはいつも幸せな役を演じて欲しいですね。
ワーズワースの冒険 [TV]
この回ちょうど見てました。
この時はすでにりえちゃんはいわゆる「激やせ」の時期に入っていたので、この回を見ながら正直「痛々しいなぁ・・・」と思ったものでした。
洋服で体のラインを隠しているようにも見えますが、却ってラインが強調されているようにも見えます。
この当時はまだ「りえママ」の力が大きく働いていた頃だったでしょうから、あの頃テリー伊藤が雑誌でも指摘していたように、正直彼女の洋服やお化粧のセンスがちょっと年不相応というか、まだ20代前半の割にちょっとオバさん臭い面がありました。
テリー伊藤は雑誌の中で『こうなったら同じ年頃の女の子達と「宮沢りえ美女軍団」を作って、ファッションや化粧などを競い合えば良い』と言っていました。
確かにこの当時は、やたらと大御所とのカップリングが目立った時期でしたし、同じ年頃の人達との噂(男女含む)は皆無、それどころか歌舞伎俳優や大物芸能人との噂ばかりが取りざたされていました。
それにやたらと着物姿だったりと、「アンタいつから大御所になったの?」と突っ込みたくなる演出が多くされていたように思います。
山城新伍と島田紳介が司会のとある特番で、美空ひばりのお母さんが書いた(だったと思う)自伝的な本を取り上げつつ美空ひばりについてのVTRをスタジオ内で流していた時のことでした。
紳介がその本を手に取って何やらひばりについて話している時に、「あっ、わかったっ!りえママ、これ読みよったんや〜!それでひばりのお母さんの真似をしよったんや〜〜!!」と言いながら、スタジオにいる他の共演者の人達に本を見せていました。
山城新伍は特に発言しませんでしたが、うんうん、と頷いていました。
確かに、ひばりのお母さんの手法とりえママの当時のやり方を見比べてみると、似ている点があると思います。
本当にそうだったかどうかは別として、当時のりえちゃんに年相応の若々しさが欠けていたのは事実でした。
りえちゃんが激やせ後に出演した「おしゃれカンケイ」を見たうちの母が、「・・・あら、この子、友達いないのかな?」とぼそっと呟いたことがありました。
きっと人気絶頂だった頃からずっと同世代の友人達と遊んだりすることが少なかったのだろうと思います。
おまけに激やせ後にはバッシングもありましたから、余計に同世代の人達と関わる機会は少なかったのかも知れませんね。
当時のりえちゃんはいろんな意味で傷ついたり、寂しかったりしたんだろうなぁ、と今さらながら考えたりします。
でもかつては絶大な人気を誇ったアイドルで、今でもマスコミは取り上げる存在。
きっとそのジレンマで随分と苦しんだんだろう、と思います。
そう考えると、彼女が拒食症にかかったのも無理はないのでしょうね。
それが今では「りえママ」の影は薄れ、彼女自身の姿がそこにあるように感じます。
勿論、りえママがあの頃に頑張っていなければ、彼女の今を支える基盤は出来上がらなかったわけで・・・。
拒食症にかかる女性の場合、母親との関係が大きく影響すると言われています。
勿論それが全てとはいきませんが、りえちゃんの場合、りえママとの親子関係が大きく影響したのは明らかでしょう。
実際彼女が激やせ後アメリカに住んでいた時、現地の拒食症リハビリセンターに入所した、と一部報道で取り上げられていました。
そのセンターの人は守秘義務を理由に言及していませんでしたが、ただ「とってもかわいい女の子が入ってきました」とインタビューで答えていました。
そこでは母子が一緒にお風呂に入るなどといったスキンシッププログラムが組まれていたそうで、どうやらりえママも一緒に参加しているのでは、と言われていました。
この病気はなかなか完治するのは難しいでしょうが、完治しないわけではないと思います。
ですから、いつかりえちゃんも昔のようなふっくら体型に戻る日が来るかもしれませんね。
華の愛−遊園驚夢− [映画]
りえちゃんが初めて海外で大きな賞を取ったのが、この香港映画「華の愛−遊園驚夢−」でした。
この映画で彼女は「2001年モスクワ映画祭最優秀女優賞」を受賞しました。
そのニュースが日本で報道された時、りえちゃんは本当に嬉しそうにインタビューに答えていました。
日本のメディアは大きく取り上げていましたが、当時のりえちゃんは低迷期(と言ってもいいと思います)だったため、一般ではメディア程騒いでいたようには感じませんでした。
この映画が上映された東京国際映画祭での舞台挨拶で、りえちゃんは劇中で使用していた豪華な衣装を着て登場しました。
おぉ〜というどよめきにも似た歓声が上がったものの、次に登場したジョイ・ウォンに向けられた嬌声にも近い歓声を聞いて、りえちゃんは明らかにしょんぼりした表情をしていました。
りえちゃんの傍らに立っていたこの映画の監督は、そんなりえちゃんの様子に少なからず気付いていた風でした。
上二つは映画のワンシーンから
東京国際映画祭の舞台挨拶の様子
この映画の監督が日本のメディアのインタビューの中で、
「自分は宮沢りえさんのことはこれまで知らなかったが、偶然彼女の写真をネットで見かけて、彼女がとても寂しそうに見えました。
それで彼女に興味を持ち、彼女ののこれまでについて調べてみて、過去に色々な経験をされていたことを知り、この映画に起用しようと思ったのです。」
という主旨の発言をされていたのを覚えています。
当時の彼女にとって、この映画の役柄はを演じるのは辛い一面があったのではないか、と思います。
なぜなら内容はネタばれになるので触れませんが、この役柄は彼女が経験してきたことと重なる部分あると思われるからです。
りえちゃんはどんな気持ちでこの映画に出ていたんだろう、と思うと、何ともいえない気持ちになります。
で、中国系の動画サイトでこの映画がアップされているのを発見しました。
日本ではどこも上がっていなかったので、ここからこの映画の動画を引っ張ってきました。
私は中国語はさっぱり分かりませんが、りえちゃん見たさにとりあえず見入っています。
とにかく細いですが、さすがはりえちゃん、豪華な衣装が似合いますね〜。
とっても綺麗です。
彼女にはやっぱり華やかさが似合います。
彼女がこの賞を取ってちょうど10年になります。
りえちゃんは今や押しも押されぬ女優として、映画や舞台、ドラマと大活躍です。
昔の人気絶頂の頃とは違った、地に足ついた人気のように感じます。
その昔「激やせ」などと騒がれていた頃、北野武がインタビューで「・・・宮沢さんは、女優が通る一過程を通っているんだと思います。だから頑張って下さい。」と言っていたのが印象に残っています。
きっとりえちゃんは良い女優さんになるために、これまでのいろんなことを経験してきたんじゃないかと思います。
そう考えると、りえちゃんは本当に強い女性ですね。
この映画で彼女は「2001年モスクワ映画祭最優秀女優賞」を受賞しました。
そのニュースが日本で報道された時、りえちゃんは本当に嬉しそうにインタビューに答えていました。
日本のメディアは大きく取り上げていましたが、当時のりえちゃんは低迷期(と言ってもいいと思います)だったため、一般ではメディア程騒いでいたようには感じませんでした。
この映画が上映された東京国際映画祭での舞台挨拶で、りえちゃんは劇中で使用していた豪華な衣装を着て登場しました。
おぉ〜というどよめきにも似た歓声が上がったものの、次に登場したジョイ・ウォンに向けられた嬌声にも近い歓声を聞いて、りえちゃんは明らかにしょんぼりした表情をしていました。
りえちゃんの傍らに立っていたこの映画の監督は、そんなりえちゃんの様子に少なからず気付いていた風でした。
上二つは映画のワンシーンから
東京国際映画祭の舞台挨拶の様子
この映画の監督が日本のメディアのインタビューの中で、
「自分は宮沢りえさんのことはこれまで知らなかったが、偶然彼女の写真をネットで見かけて、彼女がとても寂しそうに見えました。
それで彼女に興味を持ち、彼女ののこれまでについて調べてみて、過去に色々な経験をされていたことを知り、この映画に起用しようと思ったのです。」
という主旨の発言をされていたのを覚えています。
当時の彼女にとって、この映画の役柄はを演じるのは辛い一面があったのではないか、と思います。
なぜなら内容はネタばれになるので触れませんが、この役柄は彼女が経験してきたことと重なる部分あると思われるからです。
りえちゃんはどんな気持ちでこの映画に出ていたんだろう、と思うと、何ともいえない気持ちになります。
で、中国系の動画サイトでこの映画がアップされているのを発見しました。
日本ではどこも上がっていなかったので、ここからこの映画の動画を引っ張ってきました。
私は中国語はさっぱり分かりませんが、りえちゃん見たさにとりあえず見入っています。
とにかく細いですが、さすがはりえちゃん、豪華な衣装が似合いますね〜。
とっても綺麗です。
彼女にはやっぱり華やかさが似合います。
彼女がこの賞を取ってちょうど10年になります。
りえちゃんは今や押しも押されぬ女優として、映画や舞台、ドラマと大活躍です。
昔の人気絶頂の頃とは違った、地に足ついた人気のように感じます。
その昔「激やせ」などと騒がれていた頃、北野武がインタビューで「・・・宮沢さんは、女優が通る一過程を通っているんだと思います。だから頑張って下さい。」と言っていたのが印象に残っています。
きっとりえちゃんは良い女優さんになるために、これまでのいろんなことを経験してきたんじゃないかと思います。
そう考えると、りえちゃんは本当に強い女性ですね。
ごあいさつ [思うこと]
今日からこのサイトで「りえちゃんとわたし」というブログを立ち上げました。
私がちょうど13歳くらいの頃にりえちゃん人気が高まり、その後私の10代はりえちゃんとともにありました。
当時の私はりえちゃんの際立った個性についていけず、周囲の冷たい目に耐えながらひたすらアンチを貫いていました。
(今から思えばしょうもないことでしたが、当時はとてつもなく重要に思えたんですね・・・。)
で、時が経ち、私もいい大人になって、りえちゃんが紆余曲折を経て立派なお母さんになられたのをテレビ等で知るにつれ、妙にりえちゃんが気になって仕方がない。
昔は受け付けなかった個性がなぜか妙に心に引っかかる。
という訳でこのサイトを立ち上げました。
あとはあの当時やたらと嫌っていたことに対する反省と悔恨の情から、と言うのもありますね・・・。
実はこれまで別のブログサイトでたま〜にりえちゃんに関する記事を書いていたのですが、改めてこういったブログを立ち上げた方が良いかなぁ、と思いました。
と言うのも、彼女はブログをしていない上に、彼女自身の公式サイトもなし、おまけに最近までは非公式ファンサイトがあったんですが、いつの間にかそれも閉鎖されていました。
ですので、これまで某ブログサイトで書いていた記事は「過去の記事(お引っ越し分)」のカテゴリーに入っています。
それいこうに関しては、こちらで随時更新します。
あくまでもこれは私の主観ですが、りえちゃんが「ネットは全くしない」と言っているのは、その昔彼女が心身共に弱っていた時にマスコミが酷く書き立てましたね。
あれが多分彼女の心に酷く影響したんじゃないか、と私は思うのです。
だから、結婚式も極秘、妊娠出産に関しても大っぴらにしない、という姿勢を貫いているように思います。
(注)あくまでも主観です、主観!!!
例えば、フジテレビが芸能活動休止中のりえちゃんに独占インタビューをすべくアメリカに渡った時、インタビュー中に大衆紙が書き立てた記事について「このことはご存知ですか?これは本当ですか?」と質問していました。
内容はというと、俳優の高橋克典に夜中に電話をかけて「助けて!」と言ったとかなんとか・・・。
でもりえちゃんは高橋克典の名前を出された時に、「ごめんなさい、どなたですか?」と逆に質問していました。
で、レポーターは「え〜、りえさんご存じない方なんですか?じゃ、この記事はウソ・・・?」と言いながらその記事のコピーを本人に見せてました。
本人はショックな表情を見せながらその記事を読んでましたけど・・・。
はっきり言って精神的なものが原因で病気になった人にこれはひどい仕打ちだと思いました。
いつの時代もマスコミはちょっと酷いですね、やり方が。
なので、こういった一連の心ない報道や、あと最近では一般の多くの人達が自由にネット上で自分たちの意見を書き込める世の中になったので、きっとネットはしないように(なるべくそういったものを目にしないように)してるのかも知れないですね。
いや、分かりませんけど。(だから「主観」なんです)
というわけで、「りえちゃんとわたし」、今日から開始します。
(初日から長々と書いてしまった・・・。頑張って読んでくれてありがとう。)
私がちょうど13歳くらいの頃にりえちゃん人気が高まり、その後私の10代はりえちゃんとともにありました。
当時の私はりえちゃんの際立った個性についていけず、周囲の冷たい目に耐えながらひたすらアンチを貫いていました。
(今から思えばしょうもないことでしたが、当時はとてつもなく重要に思えたんですね・・・。)
で、時が経ち、私もいい大人になって、りえちゃんが紆余曲折を経て立派なお母さんになられたのをテレビ等で知るにつれ、妙にりえちゃんが気になって仕方がない。
昔は受け付けなかった個性がなぜか妙に心に引っかかる。
という訳でこのサイトを立ち上げました。
あとはあの当時やたらと嫌っていたことに対する反省と悔恨の情から、と言うのもありますね・・・。
実はこれまで別のブログサイトでたま〜にりえちゃんに関する記事を書いていたのですが、改めてこういったブログを立ち上げた方が良いかなぁ、と思いました。
と言うのも、彼女はブログをしていない上に、彼女自身の公式サイトもなし、おまけに最近までは非公式ファンサイトがあったんですが、いつの間にかそれも閉鎖されていました。
ですので、これまで某ブログサイトで書いていた記事は「過去の記事(お引っ越し分)」のカテゴリーに入っています。
それいこうに関しては、こちらで随時更新します。
あくまでもこれは私の主観ですが、りえちゃんが「ネットは全くしない」と言っているのは、その昔彼女が心身共に弱っていた時にマスコミが酷く書き立てましたね。
あれが多分彼女の心に酷く影響したんじゃないか、と私は思うのです。
だから、結婚式も極秘、妊娠出産に関しても大っぴらにしない、という姿勢を貫いているように思います。
(注)あくまでも主観です、主観!!!
例えば、フジテレビが芸能活動休止中のりえちゃんに独占インタビューをすべくアメリカに渡った時、インタビュー中に大衆紙が書き立てた記事について「このことはご存知ですか?これは本当ですか?」と質問していました。
内容はというと、俳優の高橋克典に夜中に電話をかけて「助けて!」と言ったとかなんとか・・・。
でもりえちゃんは高橋克典の名前を出された時に、「ごめんなさい、どなたですか?」と逆に質問していました。
で、レポーターは「え〜、りえさんご存じない方なんですか?じゃ、この記事はウソ・・・?」と言いながらその記事のコピーを本人に見せてました。
本人はショックな表情を見せながらその記事を読んでましたけど・・・。
はっきり言って精神的なものが原因で病気になった人にこれはひどい仕打ちだと思いました。
いつの時代もマスコミはちょっと酷いですね、やり方が。
なので、こういった一連の心ない報道や、あと最近では一般の多くの人達が自由にネット上で自分たちの意見を書き込める世の中になったので、きっとネットはしないように(なるべくそういったものを目にしないように)してるのかも知れないですね。
いや、分かりませんけど。(だから「主観」なんです)
というわけで、「りえちゃんとわたし」、今日から開始します。
(初日から長々と書いてしまった・・・。頑張って読んでくれてありがとう。)