「トニー滝谷」と「レキシントンの幽霊」 [映画]
とあるブロガーさんが、渋谷の映画館へ「トニー滝谷」を見に行った時にアンケートに答えたら、後日りえちゃんとイッセー尾形、ナレーションを担当した西島秀俊、監督の市川準の4人のサイン入り原作本が送られて来たのだそうです。
この映画は同じタイトルの村上春樹の短編小説を基に作られています。
「レキシントンの幽霊」という短編集に収められているので、その本が送られて来たようですね、うらやましい。
しかも、このブロガーさんの誕生日当日に届いたそうで、二重の喜びだったようです。
いいなぁ〜、そんなお宝の品が当たるなんて・・・。
りえちゃんは高校進学を果たせなかったこともあって、結構読書家なのだそうです。
勉強が出来る時期に学校へ行けなかったという無念さが読書熱へと繋がったのでしょうね。
ということは、やっぱりこの映画に出演する前に、村上春樹の原作を読んだのでしょうか・・・?
多分、読んでいると思います、台本も含めて。
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ぼくらの7日間戦争 [映画]
この映画、流行りましたね〜。
これが公開されたのは1988年。
私は当時小学6年生でした。
確かこれはりえちゃんの映画初主演作として注目されました。
それから2年程経って、私が当時通っていた中学校で、一つ下の学年が学芸会の出し物にこの話を選んでいました。
当時は「で、誰が宮沢りえをやるの????」という話題で持ち切りでしたが、結局りえちゃんの役を無くす事で落ち着いていました。
当時のりえちゃん人気を考えれば、この判断は妥当だと思います。
特に私が通っていた学校は女子校だったので、どんなやっかみが出るか分かりませんしね・・・。
ということで、 ついでに原作本も紹介しておきます。
原作は宗田理。角川文庫から出版されています。
1988年当時は角川文庫の折り込み広告にもりえちゃんが登場していました。
この映画に出演していた当時の子役達のうち、今でも俳優業を続けているのはりえちゃんとここに写っている男性(菊池健一郎)、それから大沢健の三人くらいです。
厳しいですね、この商売を続けていくのは・・・。
その中で第一線で活躍し続けているりえちゃんは本当に凄いなぁ、と思います。
ちなみにこの映画の続編「ぼくらの7日間戦争2」というものも作られたそうですが、りえちゃんは出演していなかったようですね。
続編に出演した俳優さん達のうち数名は今でも仕事を続けているようですが、一般的には余り知られていない人達ばかりのようです。
仕事がもらえてそこから一歩抜きん出てスターになるのって、 本当に一握りの人達なんですね・・・。
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花よりもなほ [映画]
昨日「花よりもなほ」という映画を見ました。
これは2006年に公開された映画です。
内容はと言うと・・・、一度だけ見たらそれでいいと思います。
この中でのりえちゃんは、息子と二人で慎ましく暮らしている女性を演じています。
この頃のりえちゃんはまだまだ細かったせいか、着物姿が時々石田あゆみの様に見えるくらいでした。
もう少しふっくらした方が良いですね。
今だとこの頃よりはふっくらしているかもしれませんね。
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トニー滝谷 [映画]
この映画は本当に良かったです。
私のお気に入りの一つで、気が向いた時に何度も観ています。
勿論村上春樹の原作という事もありますが、映画の演出やイッセー尾形とりえちゃんの演技が丁寧にされていて、大型話題作ではないにしても、私は良い映画だと思います。
確かカナダの映画祭(サンダンスかな?)で評判だったとか何とか・・・。
この映画の中で、りえちゃんは二人の女性を演じています。
最初に出て来る女性は派手好みの華やかな性格ですが、次に出てくる女性はいわゆる今どきの性格をした女の子といったところです。
二番目の女性を演じていたりえちゃんは、人物像をしっかりと読み込んで最初の女性とは少し違った印象を出していました。
痩せ細ってから以降のりえちゃんには昔とはかなり違った魅力が備わった様に思います。
正直なことを言うと、りえちゃんにはもう少しふっくらとして健康的になって欲しいと思います。
痩せてから以降のりえちゃんからは健康さは感じられませんし、顔に皺が出来てしまっていて、以前のような魅力は無くなってしまいました。
あと存在感も昔程は薄れてしまって、少し普通の女優さんになってしまった気がします。
でも、その代わりと言ってはなんですが、演技はとても上手くなりました。
やはり舞台でやっていけるだけの実力をつけただけの事はありますね。
数年前に何かの記事で舞台演出家が「観客が宮沢りえの登場の時に歓声を上げる様になった。やっと彼女もそこまで成長した、という気がする」というような事を語っていました。
名実共にりえちゃんは本物の女優さんになったのですね。
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浅野ゆう子と蔵とりえちゃん [映画]
破局後のりえちゃんはある種迷走していたと言っても過言ではないと思われます。
その代表的な例が、映画「蔵」の準主役降板騒動。
今の若い人達には何の事かさっぱり分からないでしょうが、当時随分と話題になりました。
宮尾登美子の原作を映画化したもので、主演は浅野ゆう子、りえちゃんは視力を失ってしまう女の子の役でした。
キャストも決まり、衣装合わせのためにりえちゃんサイドが出かけた先で、主演が浅野ゆう子である事、そしてりえちゃんは準主役の扱いである事を知り、降板を決意した、というのが大体の流れです。
この時のりえちゃんサイドの言い分は「お相手は浅野温子さんだと聞いていたから受けたのに、浅野ゆう子では嫌だ」「何で宮沢りえの名前が浅野ゆう子よりも下なの」という事でした。
おまけにりえママは「何よ、あの大根役者」と浅野ゆう子のことをこき下ろした、とまで言われています。
これに関して、この映画の製作記者会見の席上、浅野ゆう子は「名前の順番は五十音順だと聞いていましたけど・・・」と皮肉気味に語ってました。
結果、浅野ゆう子はこの映画で日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を獲得、見事面目躍如を果たしました。
おまけにこの年は阪神淡路大震災が起こった年でしたので、神戸出身の浅野ゆう子はこの映画を是非神戸で上映したいと奔走していた様に記憶しています。
神戸での舞台挨拶の時に、浅野ゆう子はスピーチしながら最後の方で涙ぐんでいました。
そんな真摯な姿も相まって、彼女が最優秀主演女優賞を獲得した時には、「あ〜、良かったねぇ、結果が出せて」と思ったものでした。
確かにそれまでの浅野ゆう子の演技と言えば、いわゆる「トレンディー俳優」の域を超えてはおらず、正直なところ女優さんとしての評価は今ひとつだったと思います。
それがたとえ超売れっ子アイドルとはいえ、若手のりえちゃんサイドから「大根役者」呼ばわりされたのでは、腹の虫が治まらない、というものでしょうね。
おまけに浅野ゆう子は芸歴を考えても大ベテラン。
罵倒する相手を間違えたとしか考えられません。
ちなみにこの騒動が「ザ・ワイド」というワイドショーで取り上げられていた時、司会の草野さんがニコニコしながら「・・・と言うわけで、今後も大躍進が期待されるりえちゃんですが・・・」と話し始め、絶対に批判的な意見を述べませんでした。
こういう内容でも司会者やその他出演者はりえちゃんを褒めるというのが、当時の慣例でしたね。
これに対し、ゲスト席に座っていた和田勉(演出家)が怒りながら、
「だから、何を言っているんだ!名前の順序が違うって当たり前じゃないか!私だって二人を起用したならそうするよ!何でそれが分からないんだ!!」
と大声で話し始めたところで、突然のCM。
CM明けだったにも関わらず即またCMへ。
その間も司会席の草野さんはずっとニコニコを通していました。
テレビを始めとした当時のメディアにりえちゃんサイドからの圧力がかなりかかっていたのが分かる一幕でしたね。
もしこの映画にりえちゃんが出演していたら、きっとあの頃の状況は変わっていただろうと思われます。
間違ってもベテランの浅野ゆう子を怒らせる様な事はすべきではなかったでしょうね。
(おまけにあの記者会見の時は浅野ゆう子の方が一枚上手でしたからね)
さっき書いた記事の中で「この頃の失敗」と触れたのは、この事です。
名前の序列から来る突然の降板+ベテラン女優をこき下ろし=この頃の失敗
これじゃ、さすがに業界内での評判が下がるのは仕方がないです。
よく再起できたなぁ、と思います。
だって、こういう世界って(あくまでもイメージですが)一度悪いイメージがつくと仕事させてもらえないような気がしますし・・・。
でも、今では舞台を中心に主役が張れる女優さんにまでなったのだから、人気凋落後のりえちゃんが必死で頑張ったのが伺えます。
舞台でやっていけるようになれば一人前、とこの世界では言われているそうで、そう考えるとりえちゃんは本当に実力をつけた女優さんになったのだろうと思います。
人っていくらでもやり直しが出来るのだなぁと、りえちゃんの今昔物語から学びました。
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初の台湾映画主演作品 [映画]
彼女が拒食症で一時活動休止をした後に、台湾の映画に初主演した作品です。
多分海外の映画に出演したのも初めてだったのではないでしょうか。
映画はネットで全編通してみましたが、正直つまらないです・・・。
でも、初めての海外映画で、りえちゃん頑張ったんだろうなぁ、と思いました。
勿論台詞は全て吹き替えでしたが・・・。
この作品も激やせ後だったので、日本であまりにもスキャンダラスなイメージがついてしまったために、海外に活路を見いだそうとしていた頃だったと記憶しています。
この頃だったと思いますが、台湾のメディアが「台湾のエステのCMに宮沢りえの起用が決まる!」と報道したことがありましたが、即座にりえちゃん側が否定していました。
あの当時のりえちゃんをエステの広告塔に起用するというのは、あまりにも無謀と言うか、何と言うか・・・。
まぁ、単なるガセネタでしたが。
今でもりえちゃんは台湾で人気があるのでしょうか?
というよりも、りえちゃんを今どれだけのアジアの人たちが知っているのでしょう・・・。
ちょっと興味があります。
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豪姫 [映画]
この映画が撮られたのは確か「Santa Fe」の後でした。
この映画をマスコミに公表するのは全てりえちゃん側主導だったのを覚えています。
「Santa Fe」の時と同じように、一切外に情報を漏らさず、突然マスコミに発表するやり方です。
この時のインタビューの様子を覚えていますが、りえちゃんはなぜか大物俳優の扱いで他のベテラン俳優達を脇に置いて彼女だけがインタビューに答えていました。
「役作りのために眉毛の脱色を行った」などのコメントをしていましたが、正直18やそこらの女の子が他の共演者達を差し置いて、大物俳優の扱いをされていること自体違和感を覚えましたし、なぜ彼女一人の事情のためだけにプレス発表や撮影のスケジュールなどが左右されなくてはいけないのか、さっぱり分かりませんでした。
厳しいことを言うようですが、仕事は自分一人だけで成立するものではありません。
ましてや映画となるといろんな人の手を介してやっと成立するものだと思います。
それを彼女の都合で(まるで彼女のプロモートだけが大事とでも言わんばかりに)全て彼女側主導で行われた、というのはあまりにも失礼な話でした。
ちなみにこの映画、カンヌ映画祭に出品されましたが、結果は・・・、言うまでもないでしょう。
この映画を見た人達の感想は概ね「綺麗な映画だけど、宮沢りえの演技がちょっと・・・」というものでした。
今のようにしっかりと訓練されていればそうでもなかったでしょうが、あの頃のりえちゃんは演技に関しては決して褒められたものではなかったので、そういう評価を受けるのは仕方ないと思います。
私はこの映画は見ていませんし、今後も見ないと思います。
やはりあの当時の彼女の売り方があまりに横柄で見るに耐えない部分があったため、あまり見たくはないですね。
あと、この頃のりえちゃん側のやり方を知っている映画関係者(特に現場の人達)は、未だに彼女と仕事をするのを嫌がっている、と7、8年前に聞いたことがありました。
当時の知り合いが撮影所に勤務していたことがあり、その人が話してくれました。
いくら有名になったからといって、偉そうにしすぎるのは考えものですね。
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父と暮らせば [映画]
井上ひさしの舞台作品の映画版です。
この話は原爆投下後の広島が舞台で、原爆で亡くなった父の幽霊と一人生き残ったその娘の話です。
舞台では娘役を西尾まりが演じていました。
この方、30代以降の方ならご存知かと思いますが、「パパはニュースキャスター」というドラマで田村正和の娘役で出演していた人です。
この映画の製作発表会見の席上、井上ひさしは「ほとんどの台詞は変えていません。が、一つだけ変えたところがあります。」と言っていました。
それはどこかと言うと、亡くなった父の幽霊が結婚の申し出を断ろうとする娘に対して、「大して器量の良くないお前・・・」という主旨の発言をするところだったそうです。
この部分は、宮沢りえにはふさわしくないとの理由で削除したそうです。
この時井上ひさしは「宮沢りえさんだったらすれ違った男性が見とれてひっくり返ってしまう程の美人ですから」と言って、変更した理由を説明していました。
確かにりえちゃんはとっても美人ですが、じゃあ、西尾まりさんの立場は・・・、とふと思ってしまいました。
同じ世代で同じく子役時代から活躍しているお二人ですし、なによりこれは女性としてのプライドが・・・、と会ったこともない西尾さんに妙に同情してしまった会見でした。
ちなみにこの映画はまだ見ていません。
泣かずに最後まで見られるかどうか・・・。
出来ればりえちゃんにはいつも幸せな役を演じて欲しいですね。
華の愛−遊園驚夢− [映画]
この映画で彼女は「2001年モスクワ映画祭最優秀女優賞」を受賞しました。
そのニュースが日本で報道された時、りえちゃんは本当に嬉しそうにインタビューに答えていました。
日本のメディアは大きく取り上げていましたが、当時のりえちゃんは低迷期(と言ってもいいと思います)だったため、一般ではメディア程騒いでいたようには感じませんでした。
この映画が上映された東京国際映画祭での舞台挨拶で、りえちゃんは劇中で使用していた豪華な衣装を着て登場しました。
おぉ〜というどよめきにも似た歓声が上がったものの、次に登場したジョイ・ウォンに向けられた嬌声にも近い歓声を聞いて、りえちゃんは明らかにしょんぼりした表情をしていました。
りえちゃんの傍らに立っていたこの映画の監督は、そんなりえちゃんの様子に少なからず気付いていた風でした。
上二つは映画のワンシーンから
東京国際映画祭の舞台挨拶の様子
この映画の監督が日本のメディアのインタビューの中で、
「自分は宮沢りえさんのことはこれまで知らなかったが、偶然彼女の写真をネットで見かけて、彼女がとても寂しそうに見えました。
それで彼女に興味を持ち、彼女ののこれまでについて調べてみて、過去に色々な経験をされていたことを知り、この映画に起用しようと思ったのです。」
という主旨の発言をされていたのを覚えています。
当時の彼女にとって、この映画の役柄はを演じるのは辛い一面があったのではないか、と思います。
なぜなら内容はネタばれになるので触れませんが、この役柄は彼女が経験してきたことと重なる部分あると思われるからです。
りえちゃんはどんな気持ちでこの映画に出ていたんだろう、と思うと、何ともいえない気持ちになります。
で、中国系の動画サイトでこの映画がアップされているのを発見しました。
日本ではどこも上がっていなかったので、ここからこの映画の動画を引っ張ってきました。
私は中国語はさっぱり分かりませんが、りえちゃん見たさにとりあえず見入っています。
とにかく細いですが、さすがはりえちゃん、豪華な衣装が似合いますね〜。
とっても綺麗です。
彼女にはやっぱり華やかさが似合います。
彼女がこの賞を取ってちょうど10年になります。
りえちゃんは今や押しも押されぬ女優として、映画や舞台、ドラマと大活躍です。
昔の人気絶頂の頃とは違った、地に足ついた人気のように感じます。
その昔「激やせ」などと騒がれていた頃、北野武がインタビューで「・・・宮沢さんは、女優が通る一過程を通っているんだと思います。だから頑張って下さい。」と言っていたのが印象に残っています。
きっとりえちゃんは良い女優さんになるために、これまでのいろんなことを経験してきたんじゃないかと思います。
そう考えると、りえちゃんは本当に強い女性ですね。