1992年の手形 [思うこと]
1988年から埼玉県幸手市の商工会議所が、「手から手へ幸せを伝えたい」をキャッチフレーズに、一番幸せだった人を市民投票で選び、手形のモニュメントを作成していたそうです。
1992年にりえちゃんが手形のモニュメントを残しています。
この頃はりえちゃんが人気絶頂だったころですね。
今でもこのモニュメント作成やっているのかな?
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アクアレーベル? [思うこと]
2009年の5月に台湾旅行をした人が撮影したりえちゃんの宣伝広告です。
これは何の宣伝でしょう?
アクアレーベルでしょうか・・・?
・・・と思ったら、謎が解けました。
やっぱりアクアレーベルでした。
その証拠画像を掲載します。
ね、これだったでしょ?
中国語で書かれてあると、分かるようで一瞬「??」と思ってしまう。
ちなみに日本語の「シミ」は中国語では「黒斑」と書くのですね。
日本語でも例えば「紫斑(しはん)」などのように「斑(まだら)」と言う文字がシミを表す漢字だったりしますから同じですね。
なるほど・・・。
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愛娘の誕生日会 [思うこと]
先日りえちゃんの娘さんのお誕生日会が行われたそうです。
りえちゃんの親しいお友達を呼んで、シャンパンを飲んだりしたそうです。
でも、お子さんの写真はやっぱりNG。
プライバシーをかなり気にしているんですね。
それにしてもりえちゃん、可愛いですね。
きっとお子さんもすっごく可愛いんでしょうね〜。
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りえちゃんの着物と帯 [TV]
以前の記事(トットちゃんとりえちゃん)でも触れましたが、数年前にりえちゃんが「徹子の部屋」に出演した時に着ていた着物と帯の画像を見つけました。
この時りえちゃんは帯の骸骨のデザインを指して、マネージャーがワインを飲んでいる骸骨を見てりえちゃんだと言った、と語っていました。
普通だったら笑えそうな話なんだけれども、りえちゃんが言うとちょっと笑えない。
きっとトットちゃんも反応に困った事でしょう。
でも、とても素敵な着物ですね。
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トットちゃんとりえちゃんとゴクミ [TV]
先日ネット検索をしていて、2001年にりえちゃんがモスクワ国際映画祭で最優秀主演女優賞を獲得した後に「徹子の部屋」に出演した際のやり取りを文字起こししたものを発見しました。
以下はその文字起こし分です。
13/10/3 宮沢りえ
黒柳『あらうれしかったでしょ』
宮沢「私は賞をいただくということが最高のことだとはあまり思わなかったんですけど貰った後にいろんな友達とか母親とかが本当に喜んでくれてたのが私には一番のご褒美だったなって」
『そうですよね。じぶんでは好きでやったんでありがとうございましたって言うところなんだけど周りの人が喜んでくれるとね。』
「本当によかったね~って言ってくれるその顔が一番のご褒美」
『まありえさんもここんところいろいろあったじゃないですか。だからそれを覆すぐらいの賞でよかったな~ってまたCMや写真で評価を受けているけど女優としての賞で第23回最優秀女優賞ということでね』
「これが賞状なんですけどもね。すごくきれいなトロフィーで有名だそうです。これがモスクワの伝説の戦士」
『まあ形としてもいい形ですよね。横にも彫刻が入っていて』
「トロフィーって飾っといて素敵なものってあまりないじゃないですか」
『これは形もいいし色もいいし重いしすごいですね。でも本当に外国で賞を貰われてる人もいると思うんですけど最優秀女優賞を他所の国で貰うと言うことは大変なことですよねモスクワ映画祭ということで。香港の監督さんがあなたを見込んでヨン・ファンさんというんですか』
「監督が東京に1人でいらして、すごくチャーミングで熱意のあるひとで、香港の映画って台本が出来てない場合もあるそうなんですけど、彼の場合は絵コンテも出来てて、どうしてこの役をあなたにやってもらいたいのかっていうのもとても流れるような言葉で話して。私は京劇のスターっていう役だったんですけど、私にはとても無理だわと思ってお断りするつもりでお会いしたんですけど、監督が君がこの役をやらないんだったらこの映画は撮らないとか言ってくれて」
『どうしてあなたのことご存知だったんですか』
「香港とか中国に私のドラマとか写真集とかがあって。私がいかずも私の分身が行ってて」
『声もなにもご存知で。これ大変難しい役なんですよね』
「1930年代のきらびやかな中国の話から京劇のスターなんですけどあるお金持ちに見初められて結婚して第4婦人になって家族の中に入るんですけど愛情とかがまったくなくお金だけがある」
『お母さんの役でもあるんですよね。めずらしいわね。』
「いやそうでもないんですけどね。大河ドラマとかで」
『中国の方がメイキャップされただけあってちょっとお顔が違うわね』
「日本でどんな方にやっていただいても宮沢りえっていう顔があるみたいで多少の個性はでるんですけど何か残るんですよね。中国の私をまったく知らない人にやっていただくととても楽に」
『お母さんらしくみえますよね。そうかというとその時代の退廃した感じもあって男装した不思議な交流もあるんですって』
「彼女はすごく強い女性(映画の登場人物)で私は表面的には強さはないんですけど内に強さを秘めてる女性で彼女に友達以上の愛情を持って彼女と娘と私の3人暮らしが始まるんですけど」
『いまのはそうでもなかったんですけど宝塚のような感じでジョイ・ウォンさんという香港でとても有名な女優さんなんですってね』
「香港では有名なかたで」
『この映画の題名なんですけど』
「日本語で”遊園驚夢”っていうんですけど」
『じゃあCMをはさんで予告編なんかもみてみます』
『まあこれだけじゃなにかわからないと思いますけど。でもずいぶんお金がかかっている映画に見えますけど』
「蘇州で撮ったんですけど」
『ええ蘇州で撮ったの。綺麗なところですよね』
「世界遺産になっているところで絶対入れないような中国の昔からの建物で撮影したんですけど。これ全部ある建物で撮ったんですよ。」
『その中で中国の服をお召しになってらっしゃるんですけど。あのモスクワ映画祭の審査員の言葉で”東洋の美しさを表現していると共に東洋の女性の持っている芯の強さも表現している”って』
「初めて聞きました」
『そうなの。よかったですよね。』
「でもこれからひとつひとつがきちんと、今までもそういう気持ちで取り組んでたんですけど、これがあったから駄目になったと思いたくないのでこれから頑張らないとなって」
『でも女優という職業についてはどうお思いです』
「やっぱり私は何かを表現するということが好きで、で今この体を通して声を通して表現するということに喜びを感じてます」
『やっぱり外国で認められたっていうことが自身につながると思うんですよね、やはり』
「女優て言うのは本人1人では何もできないものじゃないですか。いい監督がいていい脚本家がいていい相手がいてやっぱり無限に出てくる何かが秘められるので出会いが大切かなって思います。」
『それはそうと話はだいぶ違うんだけどあなたの爪。ちょっと見せてくださる。すごい透き通っててすごく綺麗なの』
「これクリアネイルっていって。時代劇とかやっている時ってすごく短く切らないといけないじゃないですか。ドラマとか映画とかを撮っている時間以外でこういうことをすごくしたくなるんですよね」
『あなた”つりバカ日誌”も出ていらっしゃるでしょう』
「そういう時はすごく短くして。ちょっとたまったフラストレーションをこういう所で晴らす」
『この前台湾の映画にも出てらして。あまりそういうことって報道されないんですよね。台湾の映画はどうでした』
「それは今回の映画とは180°がらりと違う映画で、少人数で・インディペンデント系の監督でなんていうのかしら毎日がアクティブでそんなような状態で撮影していてそれはそれでまた楽しかったんですけど」
『タイトルが』
「”運転手の恋”っていうタイトルで。婦人警官なんですよ台湾の」
『それも面白いわね。向こうの方は固定観念がないんですね。日本だったらあなたに婦人警官の役は来ないわよね』
「それも台湾の人間の役なんです」
『中国語で大変でしたわよね』
「でもそれは吹き替えにさしてもらったり」
『台湾は早いんですってね。吹き替えてその人がしゃべってるようにしかみえないようにするのね。でも外国で活躍するっていうのは日本人を知ってもらうっていうことでもいいわね』
『香港はもちろんですけど中国・ヨーロッパでは上演が決定しているんですけど日本がまだ決まってないのよね。』
「はい単舘みたいなとこがすごく似合いそうだなって」
『香港映画祭のオープニングになったそうで。さて宮沢りえさん3度目のご出演なんですけど1回目の時が19才またその時が誕生日であなたは私の頭と同じにしてきて』
「小玉ねぎにしてきたんですね」
『玉ねぎなんですっておしゃって。かわいい。4月6日で私が1人でハッピーバースデェーの歌を歌って。これが19才の宮沢りえさんです。まあそんな昔のことじゃないけど』
「だいぶ前ですね」
『だいぶ前ですか。次は24才の時だったんですね。お誕生日の少し前だったんですよね。この時もお着物でいらしてやせたとかみんなに言われたんですけどとっても元気ですって。そんなときにいらした時の写真ですね』
「そしてこれですか。今日はお着物じゃないっていう気分だったんですよ。いろんな洋服があって真っ黒にしようと」
『またガラッと違って。あなたの香港の映画にお出でになってモスクワで賞をおとりになったことが後藤久美子さんがよろこんでくだすったんですって。』
「そう。よく電話はあるんですけどフランスでニュースが流れてすぐだったと思うんですけど私以上に興奮して”おめでと~”って私はそのときはまだ実感が沸ききってなかった頃だったんですけど。こんなに喜んでるんだっと思って」
『よかったですわねヨーロッパで評判になる映画で』
「同じ年代で同じ時期に仕事を始めていまは全然違う立場なんですけど」
『2人のお子さんのお母さんでしたか。仲がいいご夫婦で』
「やっと最近幸せな彼女と並んで彼女が私のことを素敵に思ってくれることがすごくうれしくて。全然違う人生を歩んでることがなんか輝くって言うか」
『なんか自分の生きがいみたいなものがはっきりして』
「私は最近うれしいことだなって思って」
『あなたの12才のときのCMがあるんで見てもらいます』
『いや~これ覚えてらっしゃる方多いと思うんですよ。可愛かったから。でもあのときの少女がこのようになるとは。あの前歯今でも同じですかね』
「そうですね。昔の作品を恥ずかしがる方がいらっしゃいますけど私は大好きです。」
『でも可愛いじゃありませんか』
「思い出というかアルバムというか」
『ところで今日お出ししているお飲み物ですが皆さんなんだとお思いになります。フランスで飲んでおいしかったの』
「ベニスで。ベリーニっていってシャンパンに桃の果肉を入れてすごくおいしかったんです。今日は華やかな気分がいいかなって思ったんですけど。」
『小さいときから綺麗なもの美しいものがお好きだったんですって』
「そうですね言葉も美しい言葉が」
『あなたがお綺麗なことは前から存じておりますけど』
「いえ徹子さんには」
『ますますご活躍を。ありがとうございました』
なんだかりえちゃん、19歳の時(小玉ねぎカットの時)と比べて随分大人になりましたね。
あの時はまだ10代だったから、年長者への対応の仕方がなってなかったですが、いろいろと苦労を重ねて謙虚さが身に付いたと言うか、大人になったと言うか。
これはちょうど10年前に「徹子の部屋」に出演した時の様子ですが、言う事も昔と変わったなぁ、と思いました。
ちなみに後藤久美子さんとは今でも仲良しなんですね。
りえちゃんがどん底にあった時ゴクミは既に結婚していて、そういう面でりえちゃんの中で焦りのようなものがあったんですね。
確かに婚約破棄後のりえちゃんはトラブル続きでしたし、そのうち人気が凋落していったのですから、内心は幼友達の幸せをうらやんだ事でしょう。
そういう複雑な心境を乗り越えて、それでも友達関係を続けられるのって良いですね。
一生の友達はそう簡単には作れませんから。
りえちゃん自身はとても人柄が良い、とりえちゃんファンの芸能人(特に上沼恵美子)がよく言っています。
やはりそういった人柄の良さが成せる技、なのでしょう。
ちなみに上沼恵美子曰く、「りえちゃんの顔がこの世で一番好きな顔」なのだそうです。
りえちゃんはこの賞を受賞した辺りから「仕事に専念したい」との理由で、りえママのマネジメントから離れていったそうです。
りえちゃんにとって、海外での受賞という大きな出来事が、一つの分岐点となって、現在へと続く女優業へと繋がっていったんですね。
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香港とりえちゃん [思うこと]
2001年頃に香港でジャッキー・チェンとりえちゃんが同席した際の写真だそうです。
2001年は香港映画「華の愛−遊園驚夢−」でりえちゃんがモスクワ国際映画祭で最優秀主演女優賞を取った年でしたが、記事の中では特にりえちゃんについて触れられていません。
とりあえずジャッキー・チェンと一緒に写っている日本の女優さん、という事ですね。
それでもこうやって世界的に有名な俳優と一緒に写真を撮られるだけでも凄い事ですね。
でも、いくら日本をはじめとして一部アジアで超人気者だったりえちゃんでも、世界的に有名になった俳優さんとは同格扱いはされなかったですね。
(というか、その前にBBCの人達はりえちゃんを知らないだろうしなぁ)
で、その香港ですが、1992年にりえちゃんの婚約報道がされた時の香港の新聞はこんな感じでした。
「結婚すると宮沢りえのヌードが拝めない」と香港各紙は報道したそうです。
やはり、「当時のりえちゃん=ヌード」という図式はどこも同じだったんですね。
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雑誌「Sweet」 [思うこと]
どうやら「Sweet」という雑誌の企画で最近撮られた写真のようです。
お化粧一つでこれだけ印象が変わるんですね。
りえちゃんにはこの化粧はイマイチ似合ってない様に思うんだけど。
何か韓流アイドルみたいなんだけど。
別に韓流アイドルが悪いとは言ってませんが、りえちゃんには今まで通りのお化粧で十分だと思う。
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「Santa Fe」の新聞全面広告 [思うこと]
1991年(平成3年)10月14日(月)付の全国紙の朝刊に、同年11月13日に発売予定のSanta Feの全面広告が掲載され、大きな話題となりました。
以前の記事にも書いた様に私の実家は地方紙を取っているため、この日掲載されたこの新聞広告を実際には見た事がありませんでした。
はっきり言って今回ネットでこの画像を見つけて、初めてこの全面広告を見ました。
もう何度もりえちゃんの「Santa Fe」については過去の記事の中で触れているので、今さら感が無くもないですが、やっと新聞広告を見つけたのでとりあえず上げておきます。
それにしてもこの新聞広告が載った時は、随分とセンセーショナルになりましたね。
どっちを向いても「Santa Fe」の話題で持ち切りでした。
今の女優さんやアイドル達がもしヌード写真集を出したとしても、りえちゃんの時のような社会現象を引き起こす事はまず無理でしょうね。
それほどインパクトのある人は今のところ見当たらないですから。
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昔に戻るのを受け入れていない [思うこと]
近頃りえちゃんの拒食症に関して、(恐らく)専門的な見地から書かれたブログを見かけました。
重度の拒食症にかかってから十数年が経つにもかかわらず、未だに拒食症が改善されていない背景には、恐らく以前の性的な魅力を持った姿に戻るのを潜在的に拒否しているのではないか、と分析していました。
そして今の状態が心地いいと感じているのだろう、とも指摘していました。
確かに拒食症にかかる直前には、貴乃花との婚約破棄や、中村勘九郎との不倫・自殺未遂騒動がありました。
それに、この辺りから人気に陰りが見え始め、同時に大物男性芸の人達との関係が噂され始めていました。
要はりえママがりえちゃんを使って大物男性芸能人達とのつながりを持つ事で、人気を維持しようととしていたのでしょうが、それが却ってダーティーなイメージを植え付ける事にもなってしまいました。
昔とあるバラエティー番組で「これまでで一番綺麗と思った芸能人は?」という問題が出されました。
解答席に座っていたそのまんま東がフリップに「痩せる前のりえちゃん」と書いて出していました。
その理由については音消しが入ったために具体的な事は放送されませんでしたが、どうやらビートたけしとの関係について触れていたらしく、たけしがりえちゃんの体を指して「めちゃくちゃ綺麗だった」と言っていたそうです。
それを受けて山城新伍が「それは細川ふみえの前だな?細川ふみえの前だな?」とえらく食いついていました。
あの当時はちょうど細川ふみえがビートたけしとの関係を軸に話題を振りまいていた時期でしたから、まぁ、そういう事だったようです。
ちなみに山城新伍は自身のクイズ番組(前述とは別物)の冒頭でも「宮沢りえはね、あれはアカンよ。」と公言する程、当時は随分嫌っていました。
りえちゃんが、というよりも、りえちゃんサイドのやり方が気に入らなかったようです。
この人自身あまり褒められた人ではありませんでしたが、こういった歯に衣着せぬ物言い(しかも的確)はなかなか痛快なものがありましたね。
怖いもの知らず、というか、何と言うか・・・。
何にしろ、りえちゃんはあの当時はまだ20歳そこそこでしたから、そういった性的な部分を利用してでも仕事を維持する事への抵抗はあっただろうと思います。
何よりずっとりえママの強力なプロテクションのもとで育ってきたのですから、そういったダークな面はそれまであまり見てこなかったのだろうと思います。
一説にはりえママは若い頃に六本木か銀座で働いていたそうですから、そういう類いの駆け引きは慣れていたのでしょうが、りえちゃんにはそれを受け入れるだけの土壌がなかったのでしょう。
それが後年拒食症という姿となって表面に表れたのだと思われます。
一方で彼女にとって「Santa Fe」の頃の彼女自身はとても大切なもののようで、今でもこの時に撮影された写真を額に入れて飾っていると言われています。
この辺りが複雑なところですね。
潜在的に昔に戻るのを受けれていないにもかかわらず、一方でその頃の自分が大好き。
いつか彼女はそのジレンマを克服して全てを受け入れる時が来るのでしょうか・・・。
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ff(フフ) [CM]
このCMにりえちゃんが出演した時は、ちょうど激やせ後の頃の事でした。
激やせ後は暫くCMの仕事は無かった様に記憶していますが、これが決まった時はワイドショーが「しばらくぶりにりえちゃんがCMに出演します!」と放送していました。
「心機一転、髪を短く切ったのかと思いきや、これはカツラなのだそうです。短い髪もりえちゃんに似合っていますね~」とリポーターがコメントしていました。
Youtubeには上がっていませんが、確かこのCMに使われた歌は山下久美子だったと記憶しています。
このCMが流れてから暫くして、資生堂がお客さんに配る卓上カレンダーを見た事がありました。
その中にこのCMに出ていたりえちゃんの写真も使われていたのですが、りえちゃんのポージングや表情の作り方はオードリー・ヘップバーンをかなり意識したものでした。
ひょっとしたらあの当時のりえちゃんは、激やせはしたけれどオードリー・ヘップバーンに少し似てきた、と思ったのでしょうか・・・。
確かにオードリーもりえちゃんもオランダ系ですし、りえちゃんが14、5歳の時にインタビューで「将来はオードリー・ヘップバーンのような女優さんになりたい」と答えていたので、純日本人がオードリー・ヘップバーンを真似るよりもずっと良いとは思います。
でも、誰かの真似をしているうちは自分を確立できていないという事ですから、この当時のりえちゃんは激やせとバッシングで人気が凋落していた頃で、自分を模索していたのだろうと思います。
この化粧品はりえちゃんがこれまでイメージキャラクターを勤めた化粧品と比べると多少お手頃価格なもので、そういう意味でも当時のりえちゃんのタレントとしての商品価値が多少下がったという印象を受けていました。
ただ、人気が凋落しようが商品価値が下がろうが、りえちゃんはある程度仕事をコンスタントにこなせているタレントさんというイメージがあります。
そこはりえちゃんサイドに力量があるという事なのか、りえちゃん自身が頑張っているという事なのかでしょう。
普通のタレントさんだったらすぐに仕事が無くなって表舞台から消えていたでしょう。
やっぱりりえちゃんは普通のタレントさん達とは格が違う、という事なんでしょうね。
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