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なんだかなぁ・・・ [思うこと]

こうやってこれまでのりえちゃんについて調べたり情報を整理してくと、わずか10代の子供に対して周りの大人達は随分勝手な事をして来たのだなぁ、と呆れてしまいます。

いくら当時一番人気商品であった「宮沢りえ」でも、相手はまだ10代の子供なのに、りえちゃんの親であるりえママを始め、彼らと繋がりのあった大人達ったら・・・。

例えば、ビートたけしと不倫のような雰囲気を臭わせて(そういうりえママの戦略だったのでしょうが)セット売りの時期が続いていた頃、飲み屋さんでりえちゃんやたけし達が飲んでいる時に、たけしは隣で座っているりえちゃんの胸やお尻を触りまくっていたそうです。

りえちゃんは慣れた様子で嫌がりもせず、りえママはそれを単に見ているだけだったとか。

貴乃花関との破局後は中村勘三郎との不倫が取りざたされましたが、あれも結局は中村勘三郎が傷心のりえちゃんの相談役のような形で近づき、りえママは歌舞伎俳優に可愛がられるなら、と思った関係だったそうです。

でもりえちゃんは中村勘三郎にのめり込んでいった。

それのいざこざがついには自殺騒動へと発展していった、というのが、激やせ前のりえちゃんの流れです。

こうやって見てみると、りえちゃん、10代の頃からかなりすれた世界に身を置いていたのが分かります。

それじゃ、激やせ後の異性関係の乱れ云々も説明はつきますね。

つくづく芸能界って普通の世界じゃないなぁ、とちょっとゲンナリしました。

そういうりえちゃんも、やはり普通の世界の人じゃないんだな、と改めて思った今日この頃です。

 


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妊娠までの経過 [思うこと]

りえちゃんの妊娠報道がされた前後について、時系列で表した年表を発見しました。

一応載せておきます。




2008.2~3 ゼラチンシルバーLOVEの撮影
2008.4   宮里似の男性とのジムデートが報じられる
2008.9   デヴィッド・ルヴォー演出の人形の家に出演
      デヴィッド・ルヴォー氏とキス
2008.10  妊娠
2009.1~2 野田秀樹演出のパイパーに出演
2009.2   妊娠が報じられ、それを受けてコメント発表




こうやって見ると、りえちゃん、ちょっと異性関係がかなり乱れている様に見えますね。

以前からりえちゃんの異性関係は激しいと言われていました。

そのせいもあって長年付き合っていたジュエリーデザイナーさんと別れたと言われています。

やはり子供時代の経験がそうさせたのでしょうか。

ただ、お子さんの髪の色を見る限り、お相手は少なくとも日本人のような気がします。

(髪の色は真っ黒だったので・・・)

どちらにせよ、りえちゃんには何となく薄幸感が漂いますね・・・。



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本当にあった企画なの? [思うこと]

今をときめく(?)内田裕也が、りえちゃんの婚約後にりえちゃんの引退記念に大掛かりな映画の企画を立てていた、らしい、ですが・・・。

これは本当の話なのかなぁ。

いや、多分本当なんだろうと思います。

(あの風貌に騙されてはいけないっ!きっと内田裕也は凄い人なんだ・・・)

何でも、勝新太郎とマルチェロ・マストロヤンニとの共演で、タイトルは「アルベデルチ」(イタリア語でさようならの意)だったらしい。

元々りえちゃんと内田裕也は映画「エロティックな関係」で共演しているので接点は十分ありますが、この話は本当だったのかなぁ・・・。

この企画に関する内田裕也の雑誌(かな?)の対談記事を載せますので、読んでみて下さい。






―ー宮沢りえさんに直接相談されたんですか!

「あれにはさすがにびっくりしたよ。でさ、『引退するんだったら、最後にすばらしい映画をオレにプロデュースさせろ』って言ったんだよ。 まぁ結婚プレゼントみたいなもんだよな。そしたら、りえが『いいですよ、お願いします!』って。じゃあベネチアとナポリで撮ろうと、相手役はもうこの人し かいないって思ってさ」


――中村勘九郎(現・中村勘三郎)さんですか?

「バカ野郎! それシャレになってねぇじゃねぇか!! 違うよ、勝さんだよ」


――勝さんって、まさか勝新太郎さんですか!?

「そうだよ。勝新太郎×宮沢りえだよ! で、監督はりえと『豪姫』もやってる勅使河原宏さんしかいないなと。プロデュースが堤康二君とオレ。東宝が系列150館で上映、日テレは半分制作費を出してくれるってことにま でなって、もうこんな完璧なフォーメーションはないだろうってものが組めたんだよ」


――あとはもう撮るだけの状態じゃないですか!

「でもまぁ勝さんがねぇ(苦笑)。脚本家も先行して2回ベネチアに行かせたんだけどね。勝さんが『りえとどうラブシーンをやったらいいかな?、オレがりえのオッパイを・・・・?』みたいなことばっかを真剣に言ってるから、『いや勝さん、そういう映画じゃないんだ』って何回も何回も説明してさ」


――アハハハハ! さすがは勝新太郎ですね。

「参るよなぁ、勝さんには(苦笑)。オレは勝さんは元ヤクザ で、今は足を洗ってさ、ベネチアでひっそりとベネチアングラスを作ってる、そこに謎の美少女としてりえが登場する。最後はその子を守って死んでいくみたいなストーリーを考えてたんだよ」


――いいですねぇ!

「だろ? でな、最初にりえと勝さんをホテルオークラで会わせたんだけど、なんかイヤな予感がしてきてさ。というのもな、オレは大事な顔合わせの時にはいつもオークラを使うんだけど、『エロティックな関係』でりえとたけちゃん(北野武)を会わせたときに、『こちらが宮沢光子さん』って、まぁあのりえママのことなんだ けども、たけちゃんが りえママに向かってさ『本当にママが産んだの?』って開口一番で言っちゃってさ」


――アハハハハ! さすがはたけしさん、日本中が思ってたことをズバリ聞きましたねぇ!

「『おいおいちょっと待ってくれよたけちゃん』ってなもんだよ。そしたらりえママが『失礼な人ね!』って激怒しちゃったんだよ。ショック療法みたいなもので結果的にはうまくいったけどな」


――激怒されちゃいましたか。たけしさん流のブラックジョークだったんでしょうけどね(苦笑)

「まぁそうなんだけどさ。勝さんもこーんなでかい帽子かぶってあの調子だから、はたしてりえママにどんな挨拶をするのかなってヒヤヒヤして見てたらさ、勝さん、いきなり『ママ~!』ってりえママと抱き合っちゃってさ(笑)」


――アハハハハ! これまた、さすがは勝新太郎ですね。

「初対面なのにだよ。まぁでもそれもあってか最高の出会いにはなったんだけどさ(笑)。そっからはもう転がるだけ。準備金を1000万、用意したんだけど、 まぁ大変なんだよ。勝さんと勅使河原監督とかの毎度の打ち合わせも さ、まぁほぼ勝さんなんだけども、やれシャンパンだ、やれビール20本だとかになっちゃうから、1000万なんてすぐになくなっちゃうんだよ。 毎回毎回そんなことばっかりやってたからね」


――ボクらからするとロックンローラーらしくって最高なんですけどね、できればそうあってほしいみたいな。

「当事者は大変だよ。勅使河原監督も勝さんも互いに一歩も引かないから話がまとまらなくてさ。最後は監督が『そんなに言うなら勝ちゃん、自分で監督やれば。』の静かな一言で終わったね。オレもキレて『勝さん、みんな あんたのために一生懸命やってるんじゃないか!』って叫んだよ」


――で、企画消滅ですか・・・・・・。

「おう。しばらく絶交だったね。でも、勝さんが亡くなる前に病院へ会いに行ったら、喜んでくれてね。オレが帰ろうとすると『もうちょっといろよ、もうちょっといろよ』って言う んだよな。でさ、亡くなられた後、しばらくして、勝さんの娘さんに偶然会ったんだ けど、娘さんが『いつもパパが<裕也がくる~、裕也がくる~>ってうなされてましたよ』って(笑)」


――アハハハハ! 豪傑そうに見える勝さんですけど、かなりこの一件のことで気をもんでらっしゃったんですね。

「オレも『あんたのためにやってんだよ!』って何度も怒鳴ったからなぁ・・・・・・、天下の勝新太郎にね(苦笑)。オレもオレなりに一生懸命あの人のため に考えてたんだもの。でも『裕也がくる~、裕也がくる~』って寝言はねぇよなぁ。オールイタリアロケでさ、ゲストでマルチェロにも出てもらおうと思って打診してたんだよ」


――えぇ! 「8 1/2」や「ひまわり」のあの20世紀イタリアを代表する名優、マルチェロ・マストロイヤンニを出演させようと思ってたんですか!!

「勝新太郎とマルチェロ・マストロイヤンニだぜ、そして宮沢りえだよ。 タイトルも決めててさ。『アルベデルチ』(イタリア語でさよならという意味)。カッコいいだろ?」


――完璧どころか、実現していたら日本映画の歴史に残りますよ! 同企画を別キャストでってのはお考えになられなかったんですか?

「それはありえないな。りえと勝さん以外の『アルベデルチ』はねぇよ。りえが引退するって言うからさ、オレはそこまでやったわけだから な。でさ、その年の年末にテレビのレポーターを通じて、あの映画の代わりってなると陳腐だけど、『花田家・宮沢家、このたびは末永く幸せに、ロックンロール!』ってお祝いの言葉を贈ったんだけども、そした ら年明けにテレビ朝日の偉いのがさ『なんかあのふたり危ないらしいよ』って。『おいおい冗談じゃねぇよ、こないだ会ってきたばっかりだよ』って思ってたら破局だよ。りえもあれからあんな人生になっちゃってさ、一時は棒みたいに痩せちゃって、見てられなかったよな」


――なぜ破局しちゃったのかは未だに謎ですけど、それだけ相撲の世界が難しいってことなんですかねぇ。

「こないだハワイで偶然会ったんだよ。思わず『いい役にめぐまれて良かったな!』ってハグしちゃったよ。それから『早くいい男を見つけろよ』って言ったよ。まぁなんだ、相撲といえば最近は朝青龍だけどな」







これはいつ頃の記事なんでしょう。

りえちゃんが結婚する前のものなのでしょうが、朝青龍が全盛期の頃を考えると、5〜6年前かそれ以前かもしれないですね。




りえちゃんと勝新太郎に関しては、よからぬ噂を度々ネット上で見かける事がありますが、真偽の程は別として、こういう接点があったからそういう噂が出たのかなぁ、と思ったりもします。

でもこの噂とりえちゃんが婚約→破局をした時期を考えると、時期的に期間が短すぎるような気がしないでもないです。



初めてりえちゃんと貴乃花の婚約報道がされたのは1992年10月26日。

その後11月に二人揃って婚約発表会見。

翌年1月6日頃に破局報道がされ、同月27日に破局会見が行われた。



この間に勝新太郎と上記のような接触があり、噂が本当ならそういう事があった、という事になります。

確かに女性の体は嘘はつけませんから、健康な人であれば変化があればすぐに分かると思います。

それに当時のりえママならそういう事もあったかもしれません。

例えば、当時同じく噂のあったビートたけしとの関係ですが、映画かなにかのロケでホテルに泊まっている時、夜中にりえちゃんがたけしの部屋を訪れたそうです。

「ママに言われて来た」と言うりえちゃんを、たけしは「いいから帰って寝なさい」と部屋から帰したそうです。

こういう事があったため(なのかどうかは分かりませんが)に、ひょっとしたら勝新太郎の噂が出たのかもしれませんし、本当のところは当事者のみ知るところ、なのでしょう。



ただ、破局後のりえちゃんは暫くの間、以前にも増してふっくらしていました。

それにこの破局が話題になった時、りえちゃん擁護のメディアの中で、唯一人有田芳生さんだけが「角界関係者から、宮沢りえサイドに重大な問題が発覚した、と聞いている」とだけ発言し、その後は沈黙を守っていました。

勿論メディアが彼の発言を取り上げる事はありませんでした。

この辺りだけでも先に述べた噂が立つ要因は十分過ぎるくらいにあります。

第一メディアが今になっても破局の真相を探らない(というか報道しない)辺りが、余計にこの噂に信憑性がある様に感じさせるのだと思います。

それに噂の出所は大抵「角界関係者から聞いた」となっています。

何が本当かは分かりませんが、当時のりえちゃんがりえママを始めとする周りの大人に翻弄され続けていたのは間違いないでしょう。

そう考えると、子供を持って仕事も順調にこなしている今のりえちゃんには、このまま幸せな生活を送っていってもらいたいですね。



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