昭和なんだよ、やっぱり [思うこと]
最近、Googleで「宮沢りえ」と検索をかけると、「性格」「性格悪い」という関連ワードが出てきます。
確かに、以前から映画業界や芸能業界で働いていた人達の書き込みには、「宮沢りえは陰口が多い」「態度が横柄で偉そう」という内容がたまに見られました。
私の古い友人も、かつて映画業界でバイトをしてた時に、「宮沢りえは偉そうだから、特に昔(アイドル全盛期)を知ってる人達は今でも嫌ってるよ」と言ってました。
以前に少しだけ紹介しましたが、何年も前にりえちゃんと仕事の関係で会食に同席した女性スタッフの証言でも、
- まず女性は全く無視される
- 年上で仕事に直結しそうな(つまり利用価値がありそうな)女性のみ興味を示す
- りえちゃんの周りには男性数名がかしずく形をとられ、自然と女性はテーブルの隅に座る形になる
- なぜか幼児語で話しながら周りの男性達に甘えたり、食べさせてもらう(ちなみに「(何だかフニャフニャと不明な幼児語を話した後で)姫に食べさせたい王子様はだ~れ?」と言っていたらしい)
- 少しでも話題が自分からそれると、持参したタバスコを料理の上にかけまくる(どうやら注目を浴びるのが目的らしい)
- タバスコが無くなると、誰かに買いにやらせていた
- でもタバスコまみれの料理は食べずに、使用済みの皿と一緒に女性の側に押しやる
- 少しでも機嫌を悪くすると帰るので、同席する人達は事前にりえちゃん一人に注目が集まるように心得ること、と教えられていた
とりあえず、こんな感じで、扱いは難しい人物のようです。
ま、これはりえちゃんが拒食症真っただ中の頃の話ですので、精神的にまだまだ完治していなかったのだろうと思います。
ただ、個人的にはお付き合いは遠慮したいですけどね・・・。
あと、10代という大事な時期にあんな形で世間の注目を一身に集め、その後、心身共に弱り切ってしまった上に人気低迷の憂き目に遭ったのだから、ただでさえも普通の状態ではなくなるでしょうしね。
おまけにりえママとの関係はかなり“異様”とまで証言されたくらいですし、しかも一般の人から(過去のブログ記事を参照)。
そりゃフニャフニャ幼児語も話すわな・・・。
拒食症の頃は、改名をして再デビュー案や、引退させる案もちらほらとでていたらしい、とのことですが、この様子を見る限り、普通の生活はちょっと無理だったでしょうね。
一般の生活はまず難しそう。
性格が悪いというのは、まぁ、昔から美人女優さんやアイドルとして若い頃から活躍している人達なら、普通によく聞く話ですし、多分その範疇なんだろうと思います。
芸能界で長らく人気を保っている美人さんなんかは、よく「女性には全く目を向けずに、男性の方しか見ない」なんてのは日常茶飯事みたいですしね。
その一方で、共演した年上の人達には評判が良いみたいで・・・。
例えば、りえちゃん好きを公言している上沼恵美子なんかは、「りえちゃんはほんっとに性格のいい子!」を連発してましたしね。
どちらにせよ、りえちゃん、よくも悪くも、すっごい昭和臭さがするのは気のせい?
例えば、毎年のお誕生日会とか、着物のイメージを20代から定着させるとか、ちょっと昭和なんだな、これが。
昭和の匂いのする、いわゆる「芸能人」を保っている、今ではちょっと希有な存在なんだと思いますよ。
りえちゃんの性格が悪いかどうかっていうのは、相手が一般人では量れない立場にいるので、よく分かりません。
ただ、一つ言えることとすれば、私は一般人として人生を送れて良かったな、と。
勿論、どちらが幸せでどちらが不幸せかなんて、誰にも分かりませんが、とりあえず、私の人生はこれで良かったと何となく思いました。
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シャワー上がりのりえちゃん [思うこと]
なぜか中華系のブログサイトで見つけた。
日本の「AAA」というダンスユニット(なの?)のメンバーの、西島隆弘という人のブログ。
なんで中華系でブログを立ち上げてるのかな?
ま、それはさておき、その人のブログで見つけた、シャワー上がりのりえちゃんの写真だそうです。
頂きました、ありがとう。
(もし削除依頼が来たらどうしよう・・・。)
2012年の蜷川幸雄演出の舞台「下谷万年町物語」に、西島隆弘が文ちゃん役でりえちゃんと共演した際に、楽屋で撮られた写真のようですね。
すっぴんのりえちゃん、昔の姿(ポカリスエットのCM)を彷彿とさせていてかわいいですね。
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やっぱり台湾かな? [思うこと]
台湾でも話題だったの? [思うこと]
事件標題:宮澤理惠 [思うこと]
何だかりえちゃんがなにか事件でも起こしたみたいなタイトルですね。
この写真が掲載されている、台湾のサイトのページタイトルが、「事件標題:宮澤理惠」となっていました。
この写真は1994年に台湾のプレスによって撮られたものだそうです。
まだ激やせ前のりえちゃん、ふっくらしていて綺麗ですね。
ネコみたいな、ちょっと小悪魔な感じのするりえちゃん、こうやって見ると、ちょっともったいない。
何がもったいないかというと、健康を損ねてしまったことが。
勿論、今の方がりえちゃんには幸せなんだろうと思いますが、時間の経過も相まって、今のりえちゃんにはこの当時の溌剌とした美しさや色気がないんだな、これが。
いや、勿論、今の方が良いに決まってる。きっとそうに決まってる。
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やっと見つけた!温泉ヌード写真 [思うこと]
りえちゃんの中国語表記での名前「宮沢理惠」で検索していて見つけた。
「Santa Fe」から10年後に、篠山紀信が撮影した、りえちゃんの温泉ヌード。
当時はそれほど話題に上らず、私自身「足、細っ!」という印象しかなかったものですが、なぜか日本のサイトでは全く上がっていませんでした。
それが、中華系だとしっかり上がっていて、思わず飛びついてしまった。
この写真とともに説明文が添えられていて、内容はこんな感じでした。
>宮澤理惠想再靠寫真集走紅?
事隔10年宮澤理惠與當初為她拍「SantaFe」的攝影師筱山紀信二度合作,
出版名為「OVRA」的清涼寫真,
宮澤理惠光著身子泡溫泉,
若隱若現看起來很有女人味。
多分「OVRA」という雑誌かなにかの企画で撮られたものなんでしょうね。
それにしても、当時のりえちゃん、なんでヌードになったんだろう?
今ならふっくらしていてヌードになる理由は分からなくないけど、当時は拒食症の真っただ中。
細すぎるでしょう・・・、やっぱり。
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勘三郎と初めての対談 [思うこと]
「ママ以外は人間じゃない」の続き [思うこと]
昨日書いた記事「ママ以外は人間じゃない」を思い返していて、ふと思い出したのが、この映画。
「La Vie en Rose」という、シャンソン歌手・エディットピアフの生涯を描いた映画の中で、エディットと10代の頃のりえちゃんの姿が、多少たぶる場面があります。
(あくまでも私の視点から見ると、ですが。)
歌手としてデビューする前、エディットは道端で歌を歌っては日銭を稼ぐ生活をしていました。
でも一日稼いだお金は、その土地を牛耳る人にピンハネされ、もしその人が満足する金額を稼げなければ、「もっと稼げ。でなければ、その辺で脚を広げて体を売ることになるぞ。」と脅されます。
その時のエディットは、うろたえ、おろおろしながら、「ごめんなさい。今度はもっと稼いできますから、どうぞここに置いて下さい。」と、まるで捨てられそうな小さな子供のように、その元締めにすがって懇願するのです。
歌手としてパリの有名なナイトクラブでデビューした後、不運な出来事により、エディットは歌うことが出来なくなります。
そのエディットを一から教育し直し、プロの歌手として再出発させようと、一人の音楽家が援助の手を差し伸べます。
ですが、彼のレッスンは過酷を極め、不運な幼少期の影響から極度の神経質だったエディットは、何度もレッスンを放り投げようとします。
その度に、音楽家である彼は、エディットに厳しく接し、プロとしてやっていくように励ますのです。
その時のエディットは、厳しく接する音楽家の男性に、まるで小さな子供が懇願するような目で、すがろうとします。
りえちゃんもエディットのように、幼少期に庇護者であるはずの親から離れられた、もしくは独りぼっちの経験をしたことがあるのではないか、と、この映画と10代の頃のりえちゃんの様子を比べて思いました。
エディットのような壮絶なものではなかったにせよ、りえママに捨てられたくない、という強烈な不安心理は、どう考えても幼少期の親子関係が原因だと思います。
そう考えたら、まだりえママと強~い絆で繋がっているにせよ、今のりえちゃん、かなり大きく殻が破けたんだなぁ、とふと感じました。
以前書いた記事「昔に戻るのを受け入れていない」でも触れていますが、やはり芸能界という特殊な環境(10代の女の子にはちょっと辛いでしょうね)で、さらに実の母親が公私ともに仕切っている中で、彼女の人生の正負のバランスが崩れてしまった時に、自身の心のバランスを大きく崩し、それが拒食症という形で表面に現れた。
その状態から、よくここまで回復したものだなぁ、と思いました。
でも、古田新太とのツーショット写真やそれ以外の過去の男性との写真(又は出来事)を思い返すと、やはり誰かに頼りたい、又は守られたい、という強い意識は残っているんですね。
ただ、それがりえちゃんの魅力でもあるわけで・・・。
う~ん、何だか複雑な気分。
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ママ以外は人間じゃない [思うこと]
興味深いブログを発見。
ブログの主は、りえちゃんが10代の頃、仕事の関係でりえちゃんの自宅に、家具の売り込みに訪れたことがあるのだそうです。
ちょうどふんどしカレンダーを出した後で、サンタフェを出す前だったとのこと。
間近で見た人気絶頂の頃のりえちゃんは、まさに輝くような美しさだったそうです。
ただ、その時のりえちゃんは、りえママ以外の人間はこの世に存在していないかの様に、出入り業者を完全無視していたそうです。
当然、このブログ主さんも思いっきり無視。
そして、りえママ以外は人間じゃない、という態度でママにべったり。
この世で唯一信じているのはママだけ、と言わんばかりに、終始アピールしていたそうです。
その姿を見たブログ主さんは、りえちゃんのりえママに対する恐れや、愛情の渇望を感じたのだとか。
このブログ主さんは、最後にりえちゃんはママに捨てられたくないから、ヌードになったのでは?と指摘した上で、『嫌がる娘を脱がせたママは、娘の拒食症という形で「母親としてあんたはどうよ?」という現実を突きつけられたのだ。なんてことを、後に私は思った。』という文面で締めくくっていました。
また、当時のりえちゃんの様子を「異様な態度」とも指摘していました。
この頃はりえちゃんのアイドルとしての絶頂期。
当時を少しでも知る人物が感じた「異様な態度」を見ると、当時のりえちゃんとりえママの親子関係は、思った以上に深刻だったんですね。
そう考えると、りえちゃんには健康で人気絶頂だった頃から、既に薄幸の素地は十分過ぎるくらい内在していたのかなぁ。
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京都新聞社発行「大相撲グラフ 貴花田」 [思うこと]
「りえ 貴乃花」で検索していて、こんな画像を発見。
何でも、「大相撲グラフ 貴花田」という雑誌に掲載されているらしく、現貴乃花の現役時代の足跡が一目で分かる内容(?)なんでしょうかね・・・。
ちなみに、この雑誌の詳細はこんな感じです。
書名:『大相撲グラフ 貴花田』
文:新山善一、前田忠明他
刊行:京都新聞社
発行年:1992年(初版第1刷)285x210mm 128頁
宮沢りえとの婚約を発表した頃の貴花田(後の横綱貴乃花)の写真集。「熱闘七番勝負」、「若・貴兄弟の歩み~入門から三役昇進までの四年間~」、「藤島部屋の関取たち」、「ライバルたち」、「花田家物語」、「九重親方(元千代の富士)・三浦知良(カズ)からの応援メッセージ」、「おめでとう 貴・りえ 著名人語録」、「貴・りえ婚約騒動記(前田忠明)」、「平成4年(1992年)6場所全取組」など、充実の内容。
この人の現役時代は、やっぱりりえちゃんとの婚約騒動を抜きにして語れないんですかね、この内容を見ると。
それにしても、京都新聞社ってこんなのも出してたんですね、渋い。
この写真のりえちゃん、すごく幸せそう。
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