「ママ以外は人間じゃない」の続き [思うこと]
昨日書いた記事「ママ以外は人間じゃない」を思い返していて、ふと思い出したのが、この映画。
「La Vie en Rose」という、シャンソン歌手・エディットピアフの生涯を描いた映画の中で、エディットと10代の頃のりえちゃんの姿が、多少たぶる場面があります。
(あくまでも私の視点から見ると、ですが。)
歌手としてデビューする前、エディットは道端で歌を歌っては日銭を稼ぐ生活をしていました。
でも一日稼いだお金は、その土地を牛耳る人にピンハネされ、もしその人が満足する金額を稼げなければ、「もっと稼げ。でなければ、その辺で脚を広げて体を売ることになるぞ。」と脅されます。
その時のエディットは、うろたえ、おろおろしながら、「ごめんなさい。今度はもっと稼いできますから、どうぞここに置いて下さい。」と、まるで捨てられそうな小さな子供のように、その元締めにすがって懇願するのです。
歌手としてパリの有名なナイトクラブでデビューした後、不運な出来事により、エディットは歌うことが出来なくなります。
そのエディットを一から教育し直し、プロの歌手として再出発させようと、一人の音楽家が援助の手を差し伸べます。
ですが、彼のレッスンは過酷を極め、不運な幼少期の影響から極度の神経質だったエディットは、何度もレッスンを放り投げようとします。
その度に、音楽家である彼は、エディットに厳しく接し、プロとしてやっていくように励ますのです。
その時のエディットは、厳しく接する音楽家の男性に、まるで小さな子供が懇願するような目で、すがろうとします。
りえちゃんもエディットのように、幼少期に庇護者であるはずの親から離れられた、もしくは独りぼっちの経験をしたことがあるのではないか、と、この映画と10代の頃のりえちゃんの様子を比べて思いました。
エディットのような壮絶なものではなかったにせよ、りえママに捨てられたくない、という強烈な不安心理は、どう考えても幼少期の親子関係が原因だと思います。
そう考えたら、まだりえママと強~い絆で繋がっているにせよ、今のりえちゃん、かなり大きく殻が破けたんだなぁ、とふと感じました。
以前書いた記事「昔に戻るのを受け入れていない」でも触れていますが、やはり芸能界という特殊な環境(10代の女の子にはちょっと辛いでしょうね)で、さらに実の母親が公私ともに仕切っている中で、彼女の人生の正負のバランスが崩れてしまった時に、自身の心のバランスを大きく崩し、それが拒食症という形で表面に現れた。
その状態から、よくここまで回復したものだなぁ、と思いました。
でも、古田新太とのツーショット写真やそれ以外の過去の男性との写真(又は出来事)を思い返すと、やはり誰かに頼りたい、又は守られたい、という強い意識は残っているんですね。
ただ、それがりえちゃんの魅力でもあるわけで・・・。
う~ん、何だか複雑な気分。
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