りえちゃんの着物と帯 [TV]
以前の記事(トットちゃんとりえちゃん)でも触れましたが、数年前にりえちゃんが「徹子の部屋」に出演した時に着ていた着物と帯の画像を見つけました。
この時りえちゃんは帯の骸骨のデザインを指して、マネージャーがワインを飲んでいる骸骨を見てりえちゃんだと言った、と語っていました。
普通だったら笑えそうな話なんだけれども、りえちゃんが言うとちょっと笑えない。
きっとトットちゃんも反応に困った事でしょう。
でも、とても素敵な着物ですね。
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トットちゃんとりえちゃんとゴクミ [TV]
先日ネット検索をしていて、2001年にりえちゃんがモスクワ国際映画祭で最優秀主演女優賞を獲得した後に「徹子の部屋」に出演した際のやり取りを文字起こししたものを発見しました。
以下はその文字起こし分です。
13/10/3 宮沢りえ
黒柳『あらうれしかったでしょ』
宮沢「私は賞をいただくということが最高のことだとはあまり思わなかったんですけど貰った後にいろんな友達とか母親とかが本当に喜んでくれてたのが私には一番のご褒美だったなって」
『そうですよね。じぶんでは好きでやったんでありがとうございましたって言うところなんだけど周りの人が喜んでくれるとね。』
「本当によかったね~って言ってくれるその顔が一番のご褒美」
『まありえさんもここんところいろいろあったじゃないですか。だからそれを覆すぐらいの賞でよかったな~ってまたCMや写真で評価を受けているけど女優としての賞で第23回最優秀女優賞ということでね』
「これが賞状なんですけどもね。すごくきれいなトロフィーで有名だそうです。これがモスクワの伝説の戦士」
『まあ形としてもいい形ですよね。横にも彫刻が入っていて』
「トロフィーって飾っといて素敵なものってあまりないじゃないですか」
『これは形もいいし色もいいし重いしすごいですね。でも本当に外国で賞を貰われてる人もいると思うんですけど最優秀女優賞を他所の国で貰うと言うことは大変なことですよねモスクワ映画祭ということで。香港の監督さんがあなたを見込んでヨン・ファンさんというんですか』
「監督が東京に1人でいらして、すごくチャーミングで熱意のあるひとで、香港の映画って台本が出来てない場合もあるそうなんですけど、彼の場合は絵コンテも出来てて、どうしてこの役をあなたにやってもらいたいのかっていうのもとても流れるような言葉で話して。私は京劇のスターっていう役だったんですけど、私にはとても無理だわと思ってお断りするつもりでお会いしたんですけど、監督が君がこの役をやらないんだったらこの映画は撮らないとか言ってくれて」
『どうしてあなたのことご存知だったんですか』
「香港とか中国に私のドラマとか写真集とかがあって。私がいかずも私の分身が行ってて」
『声もなにもご存知で。これ大変難しい役なんですよね』
「1930年代のきらびやかな中国の話から京劇のスターなんですけどあるお金持ちに見初められて結婚して第4婦人になって家族の中に入るんですけど愛情とかがまったくなくお金だけがある」
『お母さんの役でもあるんですよね。めずらしいわね。』
「いやそうでもないんですけどね。大河ドラマとかで」
『中国の方がメイキャップされただけあってちょっとお顔が違うわね』
「日本でどんな方にやっていただいても宮沢りえっていう顔があるみたいで多少の個性はでるんですけど何か残るんですよね。中国の私をまったく知らない人にやっていただくととても楽に」
『お母さんらしくみえますよね。そうかというとその時代の退廃した感じもあって男装した不思議な交流もあるんですって』
「彼女はすごく強い女性(映画の登場人物)で私は表面的には強さはないんですけど内に強さを秘めてる女性で彼女に友達以上の愛情を持って彼女と娘と私の3人暮らしが始まるんですけど」
『いまのはそうでもなかったんですけど宝塚のような感じでジョイ・ウォンさんという香港でとても有名な女優さんなんですってね』
「香港では有名なかたで」
『この映画の題名なんですけど』
「日本語で”遊園驚夢”っていうんですけど」
『じゃあCMをはさんで予告編なんかもみてみます』
『まあこれだけじゃなにかわからないと思いますけど。でもずいぶんお金がかかっている映画に見えますけど』
「蘇州で撮ったんですけど」
『ええ蘇州で撮ったの。綺麗なところですよね』
「世界遺産になっているところで絶対入れないような中国の昔からの建物で撮影したんですけど。これ全部ある建物で撮ったんですよ。」
『その中で中国の服をお召しになってらっしゃるんですけど。あのモスクワ映画祭の審査員の言葉で”東洋の美しさを表現していると共に東洋の女性の持っている芯の強さも表現している”って』
「初めて聞きました」
『そうなの。よかったですよね。』
「でもこれからひとつひとつがきちんと、今までもそういう気持ちで取り組んでたんですけど、これがあったから駄目になったと思いたくないのでこれから頑張らないとなって」
『でも女優という職業についてはどうお思いです』
「やっぱり私は何かを表現するということが好きで、で今この体を通して声を通して表現するということに喜びを感じてます」
『やっぱり外国で認められたっていうことが自身につながると思うんですよね、やはり』
「女優て言うのは本人1人では何もできないものじゃないですか。いい監督がいていい脚本家がいていい相手がいてやっぱり無限に出てくる何かが秘められるので出会いが大切かなって思います。」
『それはそうと話はだいぶ違うんだけどあなたの爪。ちょっと見せてくださる。すごい透き通っててすごく綺麗なの』
「これクリアネイルっていって。時代劇とかやっている時ってすごく短く切らないといけないじゃないですか。ドラマとか映画とかを撮っている時間以外でこういうことをすごくしたくなるんですよね」
『あなた”つりバカ日誌”も出ていらっしゃるでしょう』
「そういう時はすごく短くして。ちょっとたまったフラストレーションをこういう所で晴らす」
『この前台湾の映画にも出てらして。あまりそういうことって報道されないんですよね。台湾の映画はどうでした』
「それは今回の映画とは180°がらりと違う映画で、少人数で・インディペンデント系の監督でなんていうのかしら毎日がアクティブでそんなような状態で撮影していてそれはそれでまた楽しかったんですけど」
『タイトルが』
「”運転手の恋”っていうタイトルで。婦人警官なんですよ台湾の」
『それも面白いわね。向こうの方は固定観念がないんですね。日本だったらあなたに婦人警官の役は来ないわよね』
「それも台湾の人間の役なんです」
『中国語で大変でしたわよね』
「でもそれは吹き替えにさしてもらったり」
『台湾は早いんですってね。吹き替えてその人がしゃべってるようにしかみえないようにするのね。でも外国で活躍するっていうのは日本人を知ってもらうっていうことでもいいわね』
『香港はもちろんですけど中国・ヨーロッパでは上演が決定しているんですけど日本がまだ決まってないのよね。』
「はい単舘みたいなとこがすごく似合いそうだなって」
『香港映画祭のオープニングになったそうで。さて宮沢りえさん3度目のご出演なんですけど1回目の時が19才またその時が誕生日であなたは私の頭と同じにしてきて』
「小玉ねぎにしてきたんですね」
『玉ねぎなんですっておしゃって。かわいい。4月6日で私が1人でハッピーバースデェーの歌を歌って。これが19才の宮沢りえさんです。まあそんな昔のことじゃないけど』
「だいぶ前ですね」
『だいぶ前ですか。次は24才の時だったんですね。お誕生日の少し前だったんですよね。この時もお着物でいらしてやせたとかみんなに言われたんですけどとっても元気ですって。そんなときにいらした時の写真ですね』
「そしてこれですか。今日はお着物じゃないっていう気分だったんですよ。いろんな洋服があって真っ黒にしようと」
『またガラッと違って。あなたの香港の映画にお出でになってモスクワで賞をおとりになったことが後藤久美子さんがよろこんでくだすったんですって。』
「そう。よく電話はあるんですけどフランスでニュースが流れてすぐだったと思うんですけど私以上に興奮して”おめでと~”って私はそのときはまだ実感が沸ききってなかった頃だったんですけど。こんなに喜んでるんだっと思って」
『よかったですわねヨーロッパで評判になる映画で』
「同じ年代で同じ時期に仕事を始めていまは全然違う立場なんですけど」
『2人のお子さんのお母さんでしたか。仲がいいご夫婦で』
「やっと最近幸せな彼女と並んで彼女が私のことを素敵に思ってくれることがすごくうれしくて。全然違う人生を歩んでることがなんか輝くって言うか」
『なんか自分の生きがいみたいなものがはっきりして』
「私は最近うれしいことだなって思って」
『あなたの12才のときのCMがあるんで見てもらいます』
『いや~これ覚えてらっしゃる方多いと思うんですよ。可愛かったから。でもあのときの少女がこのようになるとは。あの前歯今でも同じですかね』
「そうですね。昔の作品を恥ずかしがる方がいらっしゃいますけど私は大好きです。」
『でも可愛いじゃありませんか』
「思い出というかアルバムというか」
『ところで今日お出ししているお飲み物ですが皆さんなんだとお思いになります。フランスで飲んでおいしかったの』
「ベニスで。ベリーニっていってシャンパンに桃の果肉を入れてすごくおいしかったんです。今日は華やかな気分がいいかなって思ったんですけど。」
『小さいときから綺麗なもの美しいものがお好きだったんですって』
「そうですね言葉も美しい言葉が」
『あなたがお綺麗なことは前から存じておりますけど』
「いえ徹子さんには」
『ますますご活躍を。ありがとうございました』
なんだかりえちゃん、19歳の時(小玉ねぎカットの時)と比べて随分大人になりましたね。
あの時はまだ10代だったから、年長者への対応の仕方がなってなかったですが、いろいろと苦労を重ねて謙虚さが身に付いたと言うか、大人になったと言うか。
これはちょうど10年前に「徹子の部屋」に出演した時の様子ですが、言う事も昔と変わったなぁ、と思いました。
ちなみに後藤久美子さんとは今でも仲良しなんですね。
りえちゃんがどん底にあった時ゴクミは既に結婚していて、そういう面でりえちゃんの中で焦りのようなものがあったんですね。
確かに婚約破棄後のりえちゃんはトラブル続きでしたし、そのうち人気が凋落していったのですから、内心は幼友達の幸せをうらやんだ事でしょう。
そういう複雑な心境を乗り越えて、それでも友達関係を続けられるのって良いですね。
一生の友達はそう簡単には作れませんから。
りえちゃん自身はとても人柄が良い、とりえちゃんファンの芸能人(特に上沼恵美子)がよく言っています。
やはりそういった人柄の良さが成せる技、なのでしょう。
ちなみに上沼恵美子曰く、「りえちゃんの顔がこの世で一番好きな顔」なのだそうです。
りえちゃんはこの賞を受賞した辺りから「仕事に専念したい」との理由で、りえママのマネジメントから離れていったそうです。
りえちゃんにとって、海外での受賞という大きな出来事が、一つの分岐点となって、現在へと続く女優業へと繋がっていったんですね。
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すごいな、りえちゃん [TV]
確か「とんねるずのみなさんのおかげでした」で罰ゲームをしたときの写真です。
バナナマンの日村の物まねをする様に言われてしたのがこの顔です。
これは私は実際には見ていませんが、この写真以外でもいくつか凄い顔をしているりえちゃんの写真をネットで見ました。
やっぱり実力派女優ともなると、こんな事も平気で出来る様になるんですね。
何と言うか、仕事に徹していると言うか・・・。
嫌味とかじゃなく本当にそう思っているんですよ、私は。
こういうりえちゃんは好きですね。
昔「Santa Fe」を出した後に、やはりとんねるずの番組で罰ゲームで「Santa Fe」をやれと言われて、戸惑いながらしていました。
それを考えると、この日村の物まねは立派です。
だけど、あまり仕事に徹していられると、りえちゃんが美人という事を忘れそうなので、そこはほどほどでお願いします・・・。
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トットちゃんとりえちゃん [TV]
トットちゃんと言えば、黒柳徹子。
そのトットちゃんの看板番組は「徹子の部屋」。
今年の4月に放送された『祝35年突入記念「徹子の部屋」スペシャル』の中で、「Santa Fe」を出したあとのりえちゃんがゲストの回がちらっと紹介されていました。
私はこの回をちょうど見ていました。
当時のりえちゃんははっきり言ってしまえば生意気な態度でしたので、司会のトットちゃんにも「今日は小タマネギカットです」「お友達ですね」とちょっと年配の方には不躾な態度で話していた記憶があります。
ま、あれだけの人気を10代で得てしまったのだから、仕方ないですけどね。
誰だってそうなりますよ。
で、この時はちょうどりえちゃんの誕生日が近かったような気がします。
だから画像にもあるように、番組の冒頭でフルーツケーキにろうそくを立てて、りえちゃんの誕生日をお祝いしていました。
ちなみにフルーツケーキはりえちゃんの魅力をイメージして、トットちゃんが選んだのだそうです。
この時りえちゃんは当時めちゃくちゃ話題になったヌード写真集「Santa Fe」に関してコメントしていました。
「・・・フィットネスクラブでエクササイズしている時も、目の前にテレビがあって点けっぱなしになっているので、自分の写真集の話題を取り上げているのを見ながらにやにやしながら走ってたりします」
「フィットネスクラブの人達も『テレビに出ている人が今目の前にいるなんて信じられない』って言ってました」
と、とっても機嫌良く話していました。
トットちゃんは当時大人気のりえちゃん相手に、気の毒になるくらいに気を使って盛り上げながら司会を進行されていました。
で、数年後、婚約破棄騒動のあとのりえちゃんは、大物歌舞伎俳優や大物芸能人とのつながりを軸に人気を保とうと頑張っていました。
頑張る、というよりも、少しそういった部分が飽きられてきたというか、はっきり言えば批判されつつあった頃でした。
その時分にりえちゃんが再び「徹子の部屋」にゲスト出演した時の様子はと言うと、トットちゃんは終止厳し目の姿勢を崩さず、昔のケーキを出してお祝いしていた頃とは打って変わって持ち上げる様子は皆無でした。
ちなみにりえちゃんはその時も着物姿でした。
でもなぜか30代以降の落ち着いたというか、言い換えれば20代前半の女の子にはちょっと渋すぎる着物と髪型で登場していました。
落ち着き過ぎて少しオバさん臭くなってましたね。
この放送のあとでしたが、りえちゃんへの批判(りえちゃん側、と言った方が正しいです)が強まる最中に、同じく「徹子の部屋」でトットちゃんがりえちゃんをはっきりと批判した回がありました。
これに関しては大衆誌で「よく言った、黒柳徹子」の見出しで取り上げられていました。
当時、坂東玉三郎が初監督を務めた映画「天守物語」の主要キャストにりえちゃんを起用、さらにこの話の舞台版でも二人は共演していました。
当時のりえちゃんはこういった形で話題作への出演を何度かしていました。
で、坂東玉三郎がトットちゃんの番組に出た時、トットちゃんは何度も「ねぇ、あなた宮沢りえさんのどこが良いの?どこが良いの?」と聞いていたそうです。
坂東玉三郎は困った顔をして返事をせずに話題を変えようとすると、「ねぇ、あの方のどこが良いの?」とさらに質問。
困った顔をしながら玉三郎が「・・・例えば、樹木希林さんがされている役を見て『あの役がやってみたい』と言う、そういうところが面白いと思っています」と答えると、「だから、そこが問題なんですよ!」とトットちゃんが怒りながら発言した、との事でした。
これに対して、記事では「宮沢りえ側のこういったやり方に今まではっきりと批判する人はいなかったが、黒柳徹子が真っ向から批判してくれた事で、今後はこれまで表沙汰にならなかった批判記事が出る事でしょう。」といった内容が書かれてありました。
確かにあの当時の彼女側(あくまでもりえちゃんサイドですよ、やはり)のやり方は目に余るところがあっただけに、この批判記事は妥当かと思われました。
だけど、あれから約20年、そんな遺恨はもう皆無に等しいんでしょうね。
だからトットちゃんのスペシャル番組でも普通に取り上げられているんでしょう。
前にも書いたかと思いますが、未だに映画関係者の中には、「宮沢りえとは仕事をしたくない」と言っている人達がいるそうですが、多分今のりえちゃんの仕事に対するプロ意識の高さは、この頃の失敗が教訓になっているのだろうと思います。
「この頃の失敗」に関してはまた次の機会に触れる事にしますが・・・。
ところで今でも時々りえちゃんはトットちゃんの番組に出ているそうですが、やはり着物姿が多いみたいですね。
数年前にトットちゃんの番組に出た時も着物だったそうですが、その時の帯の柄がワインを飲んでいる骸骨だったらしく、それを見たマネージャーがりえちゃんだて言ってるって本人が話してたらしいです。
それはトットちゃんも反応しづらいから、りえちゃんも少しそれは避けた方が良い話題だったと思います。
りえちゃん、最近少し自虐ネタが多いように感じますが、それはりえちゃんの担当ではない気がします。
りえちゃんは、やっぱりりえちゃんのままでいて下さい・・・。
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時代の変化 [TV]
具体的にいつ頃だったかは覚えていませんが、りえちゃんが激やせ後に主演したドラマです。
つかこうへいの「ロマンス」を原作に作られたドラマだそうですが、内容は同性愛などを扱った、ちょっと刺激的なもののようです。
ただ、当時は低視聴率で今ひとつぱっとせず。
私も全く見ていませんでした。
で、この番組が始まる前に読売テレビ(全国ネットだと日テレ)で改編番組対抗クイズ番組が放送されていました。
司会はナインティナインで、勿論この「ロマンス」の出演者達もクイズの解答者席に座っていました。
質問内容は忘れましたが、とある早押し問題でりえちゃんがボタンを押して「ドリカム!」と答えました。
結果は不正解だったのですが、間違った瞬間りえちゃんは下を向いてしょんぼりしていました。
ボタンを押していた時の様子もまるで怖々答えようとしているようで、テレビを見ながら「あ〜、大分精神的に参ってるなぁ・・・」と思いました。
失敗を恐れているような感じでした。
やはりあれだけ重度の拒食症にかかると、何でもないことでも重く受け止めてしまう精神状態になるのでしょう。
すると司会のナイナイの岡村さんが気を使ったようで、話の流れでりえちゃんを見ながら「ぼくだったら絶対にりえさんをさそいますねっ!!これだけの美女を放っておくなんて・・・」みたいなことを冗談っぽくですが言っていました。
岡村さんならではの気遣いだったんだと思います。
りえちゃんは何と答えてよいのか分からない表情をしながら、岡村さんを見ていました。
今では理解できないでしょうが、りえちゃんが人気絶頂の頃は、こういった感じの扱いはある種タブーだったように記憶しています。
とにかく腫れ物に触るような扱いだったというか、常に持ち上げて、間違ってもイジる真似は絶対にしてはいけない、みたいな感じだったと言うか・・・。
例えば、彼女がまだ16、7歳くらいの時に、とある番組で渡辺正行さんが「・・・りえちゃんなんか胸が大きいから・・・」と何気なく言ったことがありました。
その瞬間、「・・・あ、またこんなこと言っているとお母さんから怒られてしまいますからね。え〜、お母さんから『りえはいい子ですって言って下さい!』って言われていますからね。言わないといけませんからね。」と言い直しました。
そして改めて画面を見ながら「はい、りえちゃんは、いい子です。」と一言言っていました。
確かに親にしてみれば自分の娘が性的な対象として扱われるのは気分が良くないです。
でもその数年後にりえママは娘のヌード写真集を発売しているわけですし、ここでは娘を売り物にしてしまっていたわけで・・・。
要はりえちゃんサイドにしてみれば、その他大勢のタレント達と一線を画しています、としたかったのでしょう。
一線を画した格が違うタレント、という意味だと思います。
これは他の人達は随分やりにくかったでしょうね。
こういうところが私が当時彼女を嫌っていた要因の一つでした。
とまぁ、例えばこんな感じで人気絶頂の頃は、随分と扱いにくい人というのが画面から伝わっていました。
それが人気低迷後(激やせ後)に当時の芸能界の構図が少しずつ変わっていき、彼女への扱い方もそれまでとは変わっていった中での、岡村さんの発言だったわけです。
勿論あの当時も今も彼女は大物扱いだとは思いますが、人気絶頂期にはほんの些細なことですら周りに制約が求められる程、彼女への扱いは大変慎重だったのです。
10代でこんな扱いを受けて、20歳そこそこで人気凋落+激やせとなれば、さぞ本人は現実を受け入れるのに苦労しただろうと思います。
だって、あれだけの人気とともに自分の溌剌とした美貌まで失ってしまい、おまけにその辺りから安室奈美恵が大人気となっていった時期でしたからね。
安室奈美恵はりえちゃんとは全く違うタイプの女性ですし、そういう世間の流行の変化にりえちゃんはきっと戸惑ったり焦りが出たりしただろうと思います。
というわけで、この番組対抗クイズ番組のやり取りの様子は、いろんな意味で時代の変化を見た気がした番組でした。
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「女優開眼」と言われた作品 [TV]
先ほどの「豪姫」の記事ではりえちゃんサイドのことを中心に批判的なことを書きましたが、今度は彼女が「女優開眼」と評価されたドラマについて紹介します。
もう皆さんご存知の有名なドラマ「北の国から」。
この話でりえちゃんは元AV女優の女の子の役で出演しています。
当初このドラマの監督はりえちゃんの起用を嫌がったのだそうです。
確かに「北の国から」とりえちゃんはどう頑張っても違和感があるキャスティングだと思います。
でもりえちゃん側のプッシュが強く起用したところ、これが結構良かったみたいでしたね。
思った以上に演技をしっかりしていたんだろうと思います。
確かにまだ荒削りな感は否めませんが、それまでのアイドル的演技と比べると、ずっと良かったのではないかと思います。
「女優開眼」などと評価されていましたし。
ちなみにこのドラマに出演したのは激やせ後でした。
きっと当時の彼女は、お飾り的なアイドルからしっかりした演技が出来る役者になろうと、試行錯誤を繰り返していたのだろうと思います。
これに出演する前の彼女の出演したドラマや映画と比べても、ちょっと異色(?)な作品だったのではないでしょうか。
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ワーズワースの冒険 [TV]
この回ちょうど見てました。
この時はすでにりえちゃんはいわゆる「激やせ」の時期に入っていたので、この回を見ながら正直「痛々しいなぁ・・・」と思ったものでした。
洋服で体のラインを隠しているようにも見えますが、却ってラインが強調されているようにも見えます。
この当時はまだ「りえママ」の力が大きく働いていた頃だったでしょうから、あの頃テリー伊藤が雑誌でも指摘していたように、正直彼女の洋服やお化粧のセンスがちょっと年不相応というか、まだ20代前半の割にちょっとオバさん臭い面がありました。
テリー伊藤は雑誌の中で『こうなったら同じ年頃の女の子達と「宮沢りえ美女軍団」を作って、ファッションや化粧などを競い合えば良い』と言っていました。
確かにこの当時は、やたらと大御所とのカップリングが目立った時期でしたし、同じ年頃の人達との噂(男女含む)は皆無、それどころか歌舞伎俳優や大物芸能人との噂ばかりが取りざたされていました。
それにやたらと着物姿だったりと、「アンタいつから大御所になったの?」と突っ込みたくなる演出が多くされていたように思います。
山城新伍と島田紳介が司会のとある特番で、美空ひばりのお母さんが書いた(だったと思う)自伝的な本を取り上げつつ美空ひばりについてのVTRをスタジオ内で流していた時のことでした。
紳介がその本を手に取って何やらひばりについて話している時に、「あっ、わかったっ!りえママ、これ読みよったんや〜!それでひばりのお母さんの真似をしよったんや〜〜!!」と言いながら、スタジオにいる他の共演者の人達に本を見せていました。
山城新伍は特に発言しませんでしたが、うんうん、と頷いていました。
確かに、ひばりのお母さんの手法とりえママの当時のやり方を見比べてみると、似ている点があると思います。
本当にそうだったかどうかは別として、当時のりえちゃんに年相応の若々しさが欠けていたのは事実でした。
りえちゃんが激やせ後に出演した「おしゃれカンケイ」を見たうちの母が、「・・・あら、この子、友達いないのかな?」とぼそっと呟いたことがありました。
きっと人気絶頂だった頃からずっと同世代の友人達と遊んだりすることが少なかったのだろうと思います。
おまけに激やせ後にはバッシングもありましたから、余計に同世代の人達と関わる機会は少なかったのかも知れませんね。
当時のりえちゃんはいろんな意味で傷ついたり、寂しかったりしたんだろうなぁ、と今さらながら考えたりします。
でもかつては絶大な人気を誇ったアイドルで、今でもマスコミは取り上げる存在。
きっとそのジレンマで随分と苦しんだんだろう、と思います。
そう考えると、彼女が拒食症にかかったのも無理はないのでしょうね。
それが今では「りえママ」の影は薄れ、彼女自身の姿がそこにあるように感じます。
勿論、りえママがあの頃に頑張っていなければ、彼女の今を支える基盤は出来上がらなかったわけで・・・。
拒食症にかかる女性の場合、母親との関係が大きく影響すると言われています。
勿論それが全てとはいきませんが、りえちゃんの場合、りえママとの親子関係が大きく影響したのは明らかでしょう。
実際彼女が激やせ後アメリカに住んでいた時、現地の拒食症リハビリセンターに入所した、と一部報道で取り上げられていました。
そのセンターの人は守秘義務を理由に言及していませんでしたが、ただ「とってもかわいい女の子が入ってきました」とインタビューで答えていました。
そこでは母子が一緒にお風呂に入るなどといったスキンシッププログラムが組まれていたそうで、どうやらりえママも一緒に参加しているのでは、と言われていました。
この病気はなかなか完治するのは難しいでしょうが、完治しないわけではないと思います。
ですから、いつかりえちゃんも昔のようなふっくら体型に戻る日が来るかもしれませんね。