向田邦子ドラマ「風立ちぬ」 [TV]
2001年のドラマだそうですが、向田邦子のドラマにりえちゃん出演していたんですね。
主演が田中裕子となるとかなりしっかりしたドラマだったのだろうと思いますが、向田邦子のドラマにりえちゃんか・・・、何かちょっとしっくりこないような、不思議な感じです。
向田邦子と言えばなぜか山口智子を思い出す。
昔、向田邦子役でドラマに出ていましたからね。
というか、山口智子のイメージだと、向田邦子の作品にはどれもしっくりくる気がします。
ところでこのドラマの出来はどうだったんだろう。
きっと久世光彦の演出だったのだから、出来映えはいい筈だと思います。
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天草の真珠とりえちゃん [思うこと]
2007年11月に天草の真珠取り体験の作業場にりえちゃんが訪れたそうです。
その時の様子がこれです。
この頃は「オリオン座からの招待状」という映画が公開されていて、りえちゃんはその映画の宣伝のために天草を訪れていたようです。
この真珠養殖の方(阿部さんと仰る方)曰く、「まるで天使が降り立ったようだった」そうです。
間近で見たらきっと天使の様に見えるのでしょうね。
りえちゃんと真珠、似合いますね。
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若気の至りだった? [思うこと]
この記事の画像を見て思い出した。
そういえばこの記者会見の時、りえちゃんと貴乃花は終止手を繋ぎっぱなしだったんだった。
でもこの写真を見ると、何となく若気の至りだったのかなぁ、と思ったりもします。
もう少し時間をかけてお付き合いや話し合いがされれば、こんな結果にはならなかったのかも知れないなぁ、と気の毒に感じたりもします。
この当時はマスコミ始め世間全体が浮かれていた記憶があります。
とにかくセンセーショナルな話題で驚いていました。
私が17歳だった初冬のある日、学校帰りに友達と遊んでいて、家に帰ったのは夜9時前くらいだった様に記憶しています。
家に入ると母が変な顔をしながら私の方を見て、「宮沢りえと貴花田が結婚するって」とボソッとつぶやきました。
その当時私は強烈な“アンチりえちゃん”だったため、驚いたと同時にかなり呆れ返ってしまいました。
だってこの婚約発表があった二年前にはふんどしカレンダー、その翌年には「Santa Fe」を発売するなど、毎年の様に奇をてらった事をしていたからです。
そんな私の呆れ具合をよそに、世間では婚約フィーバーが巻き起こり、海外メディアでも報じられた程でした。
アメリカのとあるメディアは「相撲界のプリンス、日本のセックスシンボルと婚約」と報じていました。
この二人の婚約は例えて言うなら、マリリン・モンローとジョー・ディマジオの様なものと言ってもいいと思います。
そもそもこの二人の接点と言えば、若貴フィーバーが巻き起こっていた当時、テレビではよくこの二人の兄弟について取り上げられており、そのうちの一つがりえちゃんとの共演番組でした。
その番組内で、りえちゃんはお誕生日(だったと思います)が近かった貴花田にルイヴィトンか何かの高価なバッグをプレゼントしていました。
その後もお兄ちゃんの若花田をよそに二人はとても仲良く接していました。
お兄ちゃんが「立場ねぇ〜」と漏らす程、二人は仲良くしていました。
それから暫くして婚約発表が行われ、メディアはこの二人を行く先々で追いかけ回していました。
貴花田がりえちゃん宅に5連泊する様子が取材されたり、三浦知良・りさこ夫妻と4人でクリスマスパーティを開いている様子を外から撮影し、それにベランダから手を振って答えていたり、とこれまでのお相撲さんにはないオープンな振る舞いも注目されました。
それが数ヶ月後には突然の婚約解消。
その時貴花田は「りえさんに対して愛情が無くなった」と記者会見で答えていました。
この時の記者会見は貴花田の大関昇進会見だったのですが、記者からは婚約破棄について随分ときつい質問ばかり浴びせられていました。
伝えられた内容によると、この会見を見たりえちゃんは「貴ちゃん、かわいそう」と言いながら、泣いていたそうです。
この婚約に関しては、桂由美がりえちゃんのウエディングドレスをデザインする、仲人は王さんで決定など、予定されていた結婚式の内容も伝えられていた最中だっただけに、世間もメディアも驚いたと同時に貴花田に批判的な目を向けたものでした。
ただこの話題について、ただ一人有田芳生さんだけが「りえさん側に重大な問題が発覚した、と角界の関係者から聞いています」とだけ答えて、その後は沈黙を保っていました。
勿論当時のメディアはりえちゃんを擁護していましたから、有田芳生さんのコメントはそのまま聞き流されていました。
後年聞こえてきた噂によると、りえちゃんの異性関係がネックになった(実際はかなり大きな問題だと思います)と言われていました。
まぁ、噂は噂ですし、真相は闇の中、という事でしょうが、どのメディアもこの真相に触れていないところを見ると、「大人の事情」というものがいろいろとあるのでしょう。
ここで人気絶頂期のりえちゃんについてのネット上でのコメントで一つ興味深い表現を見つけたので紹介します。
>りえの全盛期(10代の頃)は最強。10年に1人のアイドルと言われたが,それ以上だと思う。
りえと同年齢で同じ時代(バブルの名残→崩壊)を生きてきただけに,
TVでりえを見るたび,せつないような懐かしいような気持ちになる。
同性として,一番嫌いで一番好きなアイドルだった。
「同性として、一番嫌いで一番好きなアイドルだった。」
何とも的確な表現だなぁ、と感心しました。
その「同性として、一番嫌いで一番好きなアイドルだった」りえちゃん、今では落ち着いた女性へと変身しましたが、この頃の事は今でも心の傷となって残っているのでしょうか。
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カルビーポテトチップス [CM]
1992年に放送されていたもので、BGMはB'zの「Blowin'」でした。
その時作られたのは4パータンくらいだったと思いますが、そのうち3パターンをちょっと紹介します。
<たべてあそぼ。編>
<わたしのYES編>
<あれば、しあわせ。編>
いや〜、懐かしいです!
私は個人的に「わたしのYES」というキャッチコピーのパターンが一番お気に入りでした。
このりえちゃんはとにかくセクシーの一言でした。
私には全く真似の出来ないエロティシズムがあって、今見てもちょっとドキドキします。
なぜかは分かりませんが、外国人男性にポテトチップスを食べさせてあげている姿などは、妙に生々しい色気を感じてしまいました。
ちなみに一番最初に紹介した、「たべて、あそぼ。」のパターン、あれはどうやら1989年にマドンナが発表した「Cherish」という歌のPVをモチーフにしているようです。
特にオープニングがよく似ていました。
(*パクリとは言っていませんよ!!あしからず。)
模倣とパクリは違いますから。
何にせよ、10代の頃の、一番輝いていた頃のりえちゃんは、神がかって美しかったです。
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これくらいが一番良いね [思うこと]
これはいつ頃撮られた写真でしょう?
恐らく人気絶頂期の頃だと思いますが、これくらいのナチュラルさがりえちゃんには一番似合っていますね。
彼女の素の美しさがよく表れていると思います。
私は「Santa Fe」はちゃんと見ていないので分かりませんが、ひょっとしたらその時のものでしょうか・・・。
でもどっちにしろ綺麗ですね。
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りえちゃんとショートヘア+ボブ [思うこと]
その昔、私の誕生日が過ぎた秋頃に、りえちゃんが突如ベリーショートにしました。
その当時私はWebの勉強をしていて、専門学校でたまたまYahooにアクセスしたところ、りえちゃんがベリーショートにしたというニュースが掲載されていて、これまたたまたま隣にいたクラスメイトに「宮沢りえ、髪の毛凄いショートにしたよ〜」と話しかけました。
その人は、「あ〜、もうこの人、何やっても無理なんじゃ・・・」とぼそっと言っていました。
確かこの時は舞台の制作発表かなにかだった記憶があります。
「30歳になったのでバッサリと髪を切りました」とりえちゃんは答えていましたが、正直それを見た時は「りえちゃん、ちょっと切り過ぎたんじゃ・・・」と思いました。
かなりワイルドな感じの髪型でした。
で、数年ほどりえちゃんはショートヘアを保ち続け、そのうち個性的なボブだった事もありました。
そこでちょっと分かる範囲でりえちゃんのショートヘア+ボブの画像を並べてみます。
そしてボブの写真も数点ご紹介。
私は上から二番目の水玉模様の服を着ているのと、普通のボブの姿、それと「アクアレーベル」の時のショートボブに緩めのウェーブが掛かっている髪型がりえちゃんには似合っていると思います。
りえちゃんが初めて髪を切った時のベリーショートは、あまりにも短すぎるのと彼女のイメージに合っていないので、個人的には似合っていない様に感じました。
りえちゃんは髪を切ってイメージチェンジをした辺りから、りえちゃんが本来持つ個性が良い形で表に出てきた様に思いました。
ずっと髪を長く保っていたのは、それまで保ってきたイメージのためだったのか、りえママがそうしろと言っていたのかは分かりませんが、そういう面でもイメージチェンジ出来たのが良かったのではないかと思います。
どちらにせよ、美人は何をしても様になりますね〜。
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アリナミンVとりえちゃんとシュワちゃん [CM]
昔りえちゃんがアーノルド・シュワルツェネッガーと一緒に出ていたアリナミンVのCM。
何しろハリウッド俳優が人気絶頂のりえちゃんと共演、と言う事で、当時随分と話題になりましたね。
これはいくつかシリーズ化されましたが、特にこのバージョンは記憶に残っています。
このりえちゃんを見て「脚、綺麗だなぁ〜。腰の位置、高いなぁ〜。」と思ったものでした。
羨ましい反面、未だにこのタイプの服は私は絶対に着られない。
というか、着てはいけない類いの服だと思います。
多分ロスだったと思いますが、りえちゃんが激やせ後にアーノルド・シュワルツェネッガーと再会した事がありました。
りえちゃんは嬉しそうにシュワルツェネッガーとハグしていました。
その時シュワルツェネッガーは「りえは元気そうだったよ」と一言日本のマスコミに向かって答えていましたが、当時りえちゃん側(要はりえママ)は接触する大物タレントさん達に「りえは元気です、と言って下さい」とお願いしていました。
例えば、(多分)木原光知子や和田アキ子などがそうでした。
木原光知子が「りえは元気です」と言ってくれ、と再三頼まれていた当時、マスコミのインタビューに「私はもう和田さんにお任せしていますから」とだけ答えていました。
その後、和田アキ子がロスへ呼ばれ、その帰りの成田空港でマスコミに囲まれた時に、「・・・りえちゃんは元気そうでしたよ。いや、何でもいいんじゃないんですか。」みたいな事を迷惑そうに答えてしました。
そして、和田アキ子の番組「アッコにおまかせ」の冒頭部分で、和田アキ子がロスでりえちゃんと会った事に触れ、凄い営業スマイルとともに「りえちゃんは元気でした〜」と言っていました。
やはり激やせというタレントには致命的な状態に陥ったために、りえママが焦ったのかなぁ、と思ったりもしました。
そういう部分も含めてりえちゃんが哀れに見えたりもしましたが・・・。
でも出産後のりえちゃんは少しふっくらした感じですし、このままの状態を保ってくれればいいですね。
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りえちゃん年譜 [思うこと]
さっきネットで「りえちゃん年譜」を発見。
これを見ると、りえちゃんが激やせをしていった時期と貴乃花が結婚した時期が被っているのが分かります。
1991年11月13日 ヌード写真集Santafeが発売
1992年10月26日 貴花田(20)・宮沢りえ(19)婚約発表
1993年01月06日 破局報道
1993年01月27日 破局会見
1993年03月 貴花田から貴乃花に改名、史上最年少で大関昇進
1993年か94年~ 宮沢りえ・中村勘九郎(現・勘三郎)と不倫
1994年09月24日 宮沢りえ、京都のホテルで自殺未遂
1995年01月 貴乃花、横綱昇進
1995年02月21日 貴乃花・河野景子の結婚話が進んでいることが発覚
1995年02月25日 貴乃花・河野景子、婚約発表
1995年05月29日 貴乃花(23)・河野景子(30)結婚
1995年09月27日 貴乃花・河野景子長男誕生
1995年~ 宮沢りえ、激痩せ
1996年01月19日 宮沢りえ、静養の為ロス移住
1998年08月 貴乃花、「若乃花の相撲は基本がない」発言
1998年09月 貴乃花、洗脳騒動
2000年 宮沢りえ、帰国
2001年08月01日 二子山親方夫妻、離婚
2003年01月20日 貴乃花、現役引退を表明
2003年03月07日 宮沢りえ、たそがれ清兵衛で日本アカデミー賞受賞。復活を果たす
2004年06月01日 二子山部屋を継承、名前も貴乃花部屋に
2005年05月30日 二子山親方死去・花田兄弟の確執再燃
2009年04月02日 宮沢りえ、一般人男性と結婚・入籍
2009年05月20日 宮沢りえ、長女出産
元々りえちゃんの激やせが報じられ始めたのは1994年辺りからだったので、厳密に言うと貴乃花の結婚が激やせの引き金になったとは必ずしも言えないと思います。
ただ、貴乃花が引退した同時期にりえちゃんが「たそがれ清兵衛」で受賞し、見事復活。
これを見るだけでも偶然とはいえ、この二人には何か因縁めいたものがつきまとっていますね。
ひょっとしたら中村勘九郎と不倫をしていた時も、実はりえちゃんは貴乃花の事を忘れていなかったのでしょうか・・・。
それか、実は貴乃花もりえちゃんの事を忘れられなかったとか・・・。
りえちゃんはヌードになったりふんどしになったりと思い切った事をしていましたが、実はあの当時は異性に対してとっても純真な一面があったのかもしれませんね。
それが20代以降の数々の男性遍歴へとつながっていったのかも知れないなぁ、などと勝手に考えたりします。
ま、これは全て他人が勝手に推測した事。
真実は本人のみが知る、と言う事です。
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ドラマ「夏の一族」 [TV]
また渋いドラマに出てたんですね。
NHKの「夏の一族」。
主演は渡哲也でりえちゃんはその娘役だったのだそうです。
これが放送されたのは1995年9月。
連続3回の放送だったそうですが、この頃には既にりえちゃんの激やせが話題になりつつあった時期だった様に思います。
確かにりえちゃん、かなり細くなっていますよね。
顔も体全体もかなりやつれたような印象を受けます。
この頃は既に自分では解決出来ない何か悩みを抱えていたのでしょうね。
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ドラマ「ハートを盗らないで」 [TV]
りえちゃんがモデルの卵役で出演したドラマ「ハートを盗らないで」。
このドラマは全編イタリアロケ、相手役は舘ひろし、というかなり豪華なものでした。
内容はというと・・・、
ローマの下町のアパートに住むモデル志望のりえちゃんが、財閥の新キャラクターに選ばれ、指名手配中の泥棒の役の舘ひろしと出会ってモデルのノウハウを教えてもらう
という何ともオードリー・ヘップバーンを随分と意識したものでした。
最後は、ひとりヘリコプターに乗っていた宮沢りえのもとに、舘ひろしがハシゴみたいなのをつたって乗り込むというシーンで終わっているそうです。
なぜ「終わっているそうです」なのかというと、私はこのドラマはちゃんと見てませんでした。
チャンネルを変える時にちらほらと見ただけで、その時の様子ははっきり言って「あ〜、つまんなさそう・・・」と言う感じでした。
お金かけた割りにつまらないドラマって・・・。
いかにもバブルっぽいドラマですね。
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