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1997年のりえちゃんとりえママ [思うこと]

雑誌「SWITCH」の1997年5月号の表紙を飾ったりえちゃん。

その中から、りえママこと光子さんとのツーショット写真をご紹介。 

 

1997_switch.jpg 

 

 

この当時は、激やせ後でロスに引っ越したり、有名どころの俳優さん達とのつながりを通して、何とか表舞台に出ようとしていた頃でした。 

この撮影の半年後くらいには、キムタクとも噂があったんですね。 その当時については、以下のような経緯があったみたいです。     

 

 

>(1997年)11月28日 宮沢りえ 諸悪の根源は母親にあり! 

1996年1月に拒食症の治療のために母親の光子さんとロサンゼルスに渡った宮沢りえ。 以前は帰国するとマスコミに追いかけられていたが、最近ではまるで、それがなくなった。 その原因と見られているのが、りえママ光子さん。木村拓哉やビートたけしなどりえママに売名で使われた芸能人は数知れず、最近では誰も近づかないという。 一方で、りえも中村勘九郎との不倫の末、自殺未遂しており、極めて危険。りえ一人であっても近づく芸能人は少ない。最近、りえが交際が噂される市川新之助には勘九郎サイドから注意されたという。 

 

 

当時は確か、りえママとの抱き合わせでの売り込みが目立っていた時期だったように記憶しています。

ただ、りえママとりえちゃん、こうやって並んでみると確かに似てますが、だけど、りえちゃんが将来りえママのようになるとは、どうしても想像できません。(りえママさん、ごめんなさい。)

ただ、この親子は、何があっても縁が切れることは、ないのだろうと思います。

りえちゃんが実質上の離婚状態になり、かつ仕事面でまた一つ大きな波に乗れた今となっては、りえママを避ける理由がないばかりか、娘さんのことでりえママとのつながりがさらに深まったように見受けられます。

それにしても、ここの家の女系図は、相当強いつながりがありますね。

まだ幼い娘さん、今後どんな道を歩んでいくんでしょう・・・。

 

 

ちなみに、雑誌「SWITCHには、他にもこんなショットが掲載されていましたので、ちょっとご紹介。

 

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 (雑誌SWITCHMAY 1997 Vol.15 No.4)

 

特に3枚目のショットは、顎から首にかけて、かなりほっそりしているのが分かります。

でも、やっぱり、綺麗ですね。 

 

 

 

 

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